not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

わたしの献立日記(沢村貞子)

散歩の途中に買った本をテーブルに置く。

「いいなあ、毎日楽しいでしょ」

娘に訊かれると、仕事してない自分が何だか後ろめたくて

「いや、そうでもないよ」

なんて応えてしまう。

 

楽しいかどうかはわからないけど、確かに気楽になった。時計ばかり見なくなった。お天気と洗濯物の相性を気にしたり、日々の献立をあれこれ思い浮かべたり。

そんなわけで、読む本も「食」に関わるものが増えた。沢村貞子向田邦子高山なおみ、本田明子、栗原はるみ…。

 

沢村貞子の『わたしの献立日記』は、著者が昭和41年から26年間、大学ノート36冊に記した献立と、日々の随筆。

ある日の献立は、鯛のあら煮、なすのはさみ揚げ、貝柱、きゅうりのごま酢、豆腐の味噌汁。

品数も多いし、どのメニューにも一工夫がある。天ぷら、五目ずし、柳川鍋、鶏雑炊、シチュー、すき焼き、五色なます、さやのおひたし、ひらめのバタ焼き…

 

女優業をしながら毎日これだけの料理を作るのは並大抵ではない。彼女の愛情深さと健気さ、知恵と工夫、慎ましさと一本気。随筆の一つひとつの言葉にも味わいがあり、気立ての良さが伺われる。変わらず続けられたのは、きっと、好きな人に食べてもらえる喜びが源にあるからだろう。

毎日の献立を考えるのもたいへん。準備するのもたいへん。料理もたいへん。そんなことばかり考えてる自分が恥ずかしくなる。

 

「すぐ否定しなくて良いのよ。私はお母さんが楽しいと言うのが嬉しいんだから」

娘に笑われる。

 

そろそろ何か始めてみようか。

沢村貞子さんみたいに献立日記をつけてみようかな。ノートを探して、今日の夕飯を書いてみる。大したメニューじゃないのに、文字にするとなかなか美味しそう。

いつまで続くかわからないけど、ちょっとだけ楽しくなってきた。

 

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なぎさホテル(伊集院静)

人生には、回り道や寄り道が必要だ。

そんな言葉をよく耳にするけれど、私は過去のことをあまり憶えてないので、どれが回り道でどれが寄り道だったのか。それでも記憶を辿っていたら、ああ、もしかすると、今がそれかもしれないと気づいた。

 

『なぎさホテル』は、伊集院静さんが作家になるまでの過程で七年間暮らしていたホテルが舞台。

やっぱりお金持ちはやることが違うなあと感心して読み始めたら、まったくの思い違いだった。

 

「いいんですよ。部屋代なんていつだって、ある時に支払ってくれれば。」

当時の著者はお金を持っていなかった。家族と離別して、一人故郷に帰る前に立ち寄った逗子の海岸でI支配人と出会ったのだ。

 

「昼間のビールは格別でしょう」

その一言から始まった七年間の暮らし。

宿代が無くても定職が無くても、ホテルはいつも彼にあたたかい。

 

「あせって仕事なんかしちゃいけません。正直言わして貰うと、仕事だって、そんなに必要ないのかもしれませんよ。」

なんておおらかな支配人だろう。

 

そう言えば、私が子どもの頃、母が経営する小料理屋に数人の大学生が出入りしていた。皆んなお金が無いので、店の片付けや掃除、私の家庭教師などをして夕飯を食べて帰っていた。

「お金なんていいのよ。」

気風のいい母も、誰にでもそんなことを言ってたわけじゃない。

 

I支配人が、著者をホテルに受け入れたのも、きっと彼の人柄や才能を見抜いていたからだろう。

そして、この無駄だと思える七年間は、著者が「伊集院静」になる礎になった。

 

人生の回り道は、何も実らない日々。何も生まれない空虚な時間。でも、人がもう一度歩き始めるための大切な準備期間。長く生きれば誰だって、体や心のバッテリーが空っぽになる時がある。

そんな日々の中で、誰かに信頼され誰かに見ていてもらえたら、また何とか立ち上がれる。

回り道が逗子の海となぎさホテルだなんて、やっぱり伊集院静はカッコいい。

 

 

2023年11月、突然の訃報。

なんとも残念で寂しい。

心からご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

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フリーズドライ(ササキアイ)

アイさんの文章に出会ったのは二年前の春、Twitter(X)の「おすすめ」に流れてきた。

100文字ほどの呟きが自分の琴線に触れて、うわあ…と固まってしまった。

SNSの文章が好みで気になった人は大抵エッセイを書いていらして、リンクから読みに行くと、益々好きになった。


彼女の文章はわかりやすく比喩も素敵で締めがスッキリしている。
内容も落ち着いていて少し辛辣で好み。

 

ある日の呟きに、何者にもなれなかった自分のモヤモヤな気持ちを書いていらした。慌しく過ぎた人生の残りをどう生きようかという岐路に立ったときの希望や焦燥。私もアイさんの年齢の頃、一番それを感じていた。彼女の言葉は、時に、自分の表現できない感情を代弁してくれる。

 

そんなエッセイ達がZINEで本になった。

文章はもちろん写真もタイトルも装丁にも彼女の魅力が凝縮されている。たくさん用意された本は瞬く間に完売したそうだ。彼女のファンの多さを改めて知ることが出来た。

 

私も慣れないネットショップで注文。

手元に届いたとき、なんだか胸がいっぱいになってしまった。

お目にかかったこともなければ浅い月日しか知り合っていない彼女の冊子に、自分の持ち得なかった才能と勇気を少し分けてもらったような錯覚に浸った。

 

今日も勝手な想像をしながら、本やスマホで色々な人達の文章や写真を楽しむ。心の中を少し吐露している皆んなは、どこかで普通の顔をして暮らしているんだね。

それが人生のおもしろさ。

アイさんがこれから、ますますご活躍されますよう。順風をたくさん味方につけて、逆風など物ともせずお進みください。

燃やせ、燃やせ。笑

 

 

 

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女という生きもの(益田ミリ)

タイトルに惹かれて買ってみた。
みうらじゅんクドカンを読んだ後だし、スルスルと読めそうなものを選んだつもりだった。
でも、実際読んでみると、とても真摯な本だった。


文庫のあとがきに

「たんたんと書くことでしか放出できぬ憤りがあったのだろう。久しぶりにエッセイを読み返し、そう思った。」


著者ご本人が、そう書いてある。


母になる人生とならない人生を、思い惑う時期ということは、読みながらひしひしと感じられた。
その惑いは、母になった私には計り知れない。 ただ、母になったから私は女なんだと自覚したことは一度もない。

 

しかも、私くらいの年齢になると、男も女も超えられる。「人」になる。何を持っているかじゃなく、どんな佇まいか。それだけだ。

 

生理があるから、乳房が有るからから、子宮が在るから、化粧をするから、美人だから、モテるから女じゃない。


意地悪で、お節介で、嫉妬深くて、自信が無くて。
柔らかくて、あったかくて、強くてかわいくて。

そんな、それぞれの「女」で居れば良いんじゃないかな。

 

 

 

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ブルーハワイ(燃え殻)

あー、とうとう全部読んでしまった。

読み始めた本がとてもおもしろいとき、小説なら先を知りたくてどんどん進むけれど、エッセイの場合、私は出来るだけ最後まで辿り着かないよう少しずつ読む。美味しくて個包装で賞味期限の無いお菓子を、一つずつ一つずつ勿体ながって食べるように。

燃え殻さんの『ブルーハワイ』も然り。

本を手に取るたび挟んだ栞の位置を確かめて、残りこれだけになっちゃったと、ちょっと寂しかったりする。

 

『ブルーハワイ』は、週刊新潮の連載から精選されたものに書下ろしを加えた燃え殻さんのエッセイと、味わいある大橋裕之さんのイラストやマンガ。

『それでも日々はつづくから』の続編と言えば良いのかな。

 

今、私は一人で営んできた仕事を終わりにして三ヶ月過ぎたところ。少しのんびりしたくて主婦という立場にいる。

そんな日々は、確かにストレスが軽減される。何十年も頭から離れなかった段取りや憂ごとが消えていく。その代わり、泣いたり笑ったり悔しかったりする頻度が減る。

感情が緩くなると、脳が動かなくなる。

脳が動かなくなると、お気楽になる。

お気楽になると、考えなくなる。

考えなくなると、感受性が鈍る。

もちろん、その逆の人もいるだろう。お気楽になって今まで気付かなかったものに心動いたり、人の言動に感情を揺さぶられたり。

ただ、私は自分の感性が鈍くなっているのがわかる。

 

燃え殻さんのエッセイは、のほほんとしているのに何故か核心を突く。「来年になったら忘れそうな」記憶や出来事や言葉が、私の固まった脳に柔らかくチクリと鍼を打つ。

ドドドーと押してくるのではなく、ガシッと掴むのではなく、コショコショと擽るのでもなく。

一つひとつのエッセイに、フフっと笑ったり、あーなるほどと納得したり、ちょっと背中を押されたりする。

 

どのエッセイも好きだけど、なんだかいつもとは違うチカラを感じたのは「僕たちには僕たちのルールがあった」。

「同じ時代に生きて、この地球を出て行くことのできない僕たちは大人になるにつれ、そこいらじゅうに線を引き始める。」

「この地球を出て行くことのできない僕たち」って良いな。まさにそれが、私たちの共通の定め。

線を引く人はそれを忘れてる。

 

表紙も良い。

やっぱり好きだな。

読み終えてもまた開きたくなるような。

何処かに行くとき、それが嬉しいより心細いとき、連れて行きたくなるような。

 

 

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会いたくなったら歌うよ、昔の歌を

仕事を止めて三ヶ月経った。

空を見て本を読んで散歩をして料理をする。

友だちが訪ねて来てお喋りをして見送って夕焼け。

 

三十年以上、そんな暮らしに憧れていた。

仕事をしていない友人が羨ましくて堪らなかった。

それでも同じ仕事を続けてきたのは何故だろう。

 

最後は少し体調を崩してしまった。

自分のキャパを超えていたんだね。

皆んなそうやって、潮時を知るのかもしれない。

 

働かないのはなんだか気が引けるけれど、もう少しゆっくりしよう。空に癒されて友人達に支えられて、見えない人達に守られて一人ひとりの笑顔を思い出してありがとうを絶やさず。

 

体もココロもしっかりしたら、また新しいことを考えたいな。私に出来ることがあるかな。

もう一度行きたいところもあるし、

さすらいもしないで

このまましなねーぞ。

 

今はそんな気持ち。

 

 

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あはれ秋風よ

母は二年間の闘病後、天国に旅立った。

父はそれから八年生きて、母のところに行った。はず。

 

母がいなくなって、父はだんだんと気持ちが病んで認知症になった。

私は自分の家から車で一時間、父の家まで週五日通った。お風呂を嫌がる父、病院を嫌がる父、何度もごはんを食べたがる父。夜中まで数分置きに家の周りを歩いて施錠確認する父。

もちろん、母がいる頃はそんな父じゃなかった。

本が好きで音楽が好きで登山が好きでお酒が好きで、私が困ったり悩んだ時は必ず、必ず助けてくれた。

 

五年が過ぎ、認知症の父の世話をしている自分も何が現実で何が虚実かわからなくなってきた頃、ようやく介護士の友人に相談した。

施設に入ってもらうことが父を護ることだと分かっても、嫌がる大きなおじいさんをどうやって連れて行くのか。

「騙すのよ、騙して連れて行くの」

看護師の友人の言葉にハッとする。

 

それから施設選び、家財道具の準備、手続き、病院、ご近所へお礼のご挨拶…すべての段取りを一人でやった。

 

「ご飯を食べに行こう」

父を誘い車に乗せて、施設まで運転したあの日を私は一生忘れないだろう。食堂で楽しそうにホットミルクを飲む父を置いて、どうしても帰れなくて何度も何度も迷いながらそっと抜け出してエンジンをかけたあの日を。

「お父さんを山に捨てたんじゃないんですよ。安全な所に連れて行ってあげたんですよ」

ケアマネさんの言葉に励まされながら、一週間もすれば父の苦しみ抜いた顔は、穏やかな笑顔に変わった。

そして三年後、

「ぜんぶ水に流してな」

そう笑って父は昇天した。

 

2014年11月15日、父を施設に連れて行く前日に書いた文章を読み返す。

「父と来るお風呂も食堂も今日が最後になるのかと 思えば父に申し訳なくて可哀想になるけれど
いま先延ばしにしてもきっと私はまたいつか音をあげるだろう。
私の気力と体力が絶えたら父も絶えるからだから明日は思い切ります。 
明日だけでいい、わたしたちを祈ってください。

そして明日の裏切りが、その先何年後かの父の笑顔となりますように。」

 

暑い夏を過ぎて、風が少し冷んやりし始めたらあの日を思い出す。

今日も青く澄んだ秋空を見上げて

「これで良かったんだよね」

そう問うと、雲の向こうの父が、他人事のように笑っている。

 

 

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