母は二年間の闘病後、天国に旅立った。
父はそれから八年生きて、母のところに行った。はず。
母がいなくなって、父はだんだんと気持ちが病んで認知症になった。
私は自分の家から車で一時間、父の家まで週五日通った。お風呂を嫌がる父、病院を嫌がる父、何度もごはんを食べたがる父。夜中まで数分置きに家の周りを歩いて施錠確認する父。
もちろん、母がいる頃はそんな父じゃなかった。
本が好きで音楽が好きで登山が好きでお酒が好きで、私が困ったり悩んだ時は必ず、必ず助けてくれた。
五年が過ぎ、認知症の父の世話をしている自分も何が現実で何が虚実かわからなくなってきた頃、ようやく介護士の友人に相談した。
施設に入ってもらうことが父を護ることだと分かっても、嫌がる大きなおじいさんをどうやって連れて行くのか。
「騙すのよ、騙して連れて行くの」
看護師の友人の言葉にハッとする。
それから施設選び、家財道具の準備、手続き、病院、ご近所へお礼のご挨拶…すべての段取りを一人でやった。
「ご飯を食べに行こう」
父を誘い車に乗せて、施設まで運転したあの日を私は一生忘れないだろう。食堂で楽しそうにホットミルクを飲む父を置いて、どうしても帰れなくて何度も何度も迷いながらそっと抜け出してエンジンをかけたあの日を。
「お父さんを山に捨てたんじゃないんですよ。安全な所に連れて行ってあげたんですよ」
ケアマネさんの言葉に励まされながら、一週間もすれば父の苦しみ抜いた顔は、穏やかな笑顔に変わった。
そして三年後、
「ぜんぶ水に流してな」
そう笑って父は昇天した。
2014年11月15日、父を施設に連れて行く前日に書いた文章を読み返す。
「父と来るお風呂も食堂も今日が最後になるのかと 思えば父に申し訳なくて可哀想になるけれど
いま先延ばしにしてもきっと私はまたいつか音をあげるだろう。
私の気力と体力が絶えたら父も絶えるからだから明日は思い切ります。
明日だけでいい、わたしたちを祈ってください。
そして明日の裏切りが、その先何年後かの父の笑顔となりますように。」
暑い夏を過ぎて、風が少し冷んやりし始めたらあの日を思い出す。
今日も青く澄んだ秋空を見上げて
「これで良かったんだよね」
そう問うと、雲の向こうの父が、他人事のように笑っている。