9人の作家が紡いだ「お酒のある風景」をテーマにしたアンソロジー。
それぞれにおもしろかったけれど、個人的には燃え殻さんの『これがいいんだ』と、島本理生さんの『その指で』が好き。
あなたにとって、お酒とはどういうものでしょう。
私が子供の頃、母は小料理屋をやっていたので、お酒はとても身近にあった。店の裏にはビールや日本酒や洋酒が積まれ、酒屋さんが毎日配達に来ていた。料理屋と言ってもお酒が主な売り物だし、母も毎晩飲んでいたのに、彼女の口癖は
「酒はキチガイ水だよ」
だった。
酔っ払って来たお客を決して店に入れなかったし、店で酔っ払った人は無理矢理帰らせたりしていた。
きっと、お酒で様々な経験をしたのだろう。
父は、平日の仕事帰りにお酒を呑みに行って、夕飯時は家にいなかった。いつも夜中に玄関でグニャグニャになっていた。
スーツを着てお堅い仕事をしている昼間の父とまったく別の姿を見るのは、子供心に辛くて堪えた。
大人になって、母が店を辞め病気を患い終末期に入った頃、父の酒量はますます増えていた。
動けない母に手を貸さず、酔っ払って泣いたり物を無くしたりした。
母はそれをとても悲しがって怒っていたのに、まったく言うことを聞かず飲み続けた。
なのに、母が逝ったその日から、彼はまったくお酒を口にしなくなった。
「オカアサンがいないのに酒なんて美味しくない。オトウサンは酒が好きなんじゃないよ。オカアサンが好きだったんだ」
はぁ…。いい歳をして何を言ってるのと呆れたけれど、本当に、父はそれから八年間、自分が亡くなるまでお酒を欲しなかった。
今、二人のお墓には、いつもとびきり良いビールを買って行く。
よく冷えた缶を二つ並べてプルリングを開ける。
父母も天国で仲良くお酒を飲み始めたんじゃないかと、勝手に想像している。
母の口癖を呪文のように聞き続けたからか、父の酩酊した姿を見てきたからか、私はお酒を頂かない。
そして夜に仕事をしているので飲みに出かけることもない。
でも、ここ十年くらいの間かな…旅行先で楽しいお酒の席に連れて行ってもらったことがきっかけになり、そろそろ「キチガイ水」の記憶を払拭して、美味しいお酒を飲んでみたいなと思うようになってきた。
それは自分でも不思議な感覚だけど、やっぱりお酒の美味しさって、一緒に呑む相手とお店で変わるのかもしれない。
コロナが落ち着いて、また良い夜が来たら、その時は何を頂こうかしらとちょっと楽しみ。