not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

君にできることはボタン付けとそうじ

引越して以来、徒歩が増えた。

以前は車で出かけていたスーパーマーケット、パン屋、雑貨屋、ドラッグストアなどに歩いて行けるようになった。そんな生活環境の変化で、今まで要らなかったものが要るようになる。

その一つがアウターだ。

徒歩は数分でも想像以上に暑いし寒い。雨の日は濡れる。風の日は捲れる。

 

昨年冬にコートを一つ、今年の春にジャケットを一つ買った。

春のは、ネイビーのテーラードを、つい選んでしまった。つい、と言うのは、試着したら欲しくなった。デザインが新鮮だっただけで、風除けにも雨除けにもならない。

そして金ボタン。

家に帰ってもう一度着てみると、ちがう、自分じゃない。お店で試着した時はその気になってしまったけれど、家の鏡で見ると金ボタンが浮くのだ。

 

数日後、そのテーラードを持って近所の手芸屋へ。カタログで紺色ボタンを選んで注文。

お店のアルバイトの女性が

「あー、金ボタンて昔ありましたね」

と笑う。

先日買ったばかり、そしてこの洋服を作った会社に失礼だよと心の中で思いながら、笑顔を返す。

「ボタン、自分で付けるんですか?私の世代は皆んな母親に頼みます」

そう。何年経っても、母の手仕事は娘より上手い。私の母も生きていれば今年は米寿。それでもきっと、母に付けてもらっていただろう。

 

一週間後、注文したボタンが届いて受け取りに行った。なんだかワクワクする。さあ、縫いましょう。

 

「君にできることはボタン付けとそうじ…」

気がつくと、母が大好きだった布施明の曲を口ずさんでいる。何だったっけと検索すると『積み木の部屋』という曲だった。

私のボタン付けはどう。下手って笑うだろうな。

そんなことを独言て、前見頃に四つ、左右の袖口に六つ。金ボタンを紺ボタンに付け替えた。

着てみるとちょっと地味。でも、この方が自分らしい。

 

今日はポカポカ花見の陽気。

せっかく準備したけれど、暖かくて上着は要らない。

早く着なきゃ、すぐ夏が来そう。

 

 

f:id:marico1209:20240408100007j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花の雲

友人達から満開に咲く桜の写真が届くのに、越してきた住居からは一つも見えない。

 

六年前の今日は、見頃も終わって街中の桜はもう散り始めていた。

ポカポカ陽気と春風に舞う花びらの映像が、今もはっきりと思い出される。

いつもより遅い時間に病院に着いておきながら、急にものすごい勢いで父の病室に向かって走った。ドアを開けて顔を確認して三分ほど後、父は旅立った。

抱きしめたんだよね。

細くなって骨ばかりの身体を、何度も何度もありがとうってぎゅっとぎゅっと。

父に抱きしめてもらった記憶がないので、ちょっとよそよそしかったけど。なんだか、そうしてあげたくなった。

 

それでもきっと、私じゃダメだったと思う。

空に昇って、母に抱きしめてもらった?

たぶん無理だろうね。

あんなに母を困らせたんだから。

 

今日は花曇り。

明日は雨になるらしいから、お昼を食べたら納骨堂に行って来ます。

 

 

f:id:marico1209:20240404115235j:image

 

 

 

 

 

海の見える風景(早川義夫)

実は未だ、一度も一人暮らしをしたことがない。

高校を卒業したら親元を離れようと、いや離れたいと考えていた。自由気ままな学生生活に憧れ、東京にある美大を受験することにした。

そのためのデッサン塾にも通い勉強もしていたけれど、母親の猛反対に遭い、涙ながらに諦めた。

それからずっと、一人暮らしの夢は叶えられていない。

 

早川義夫さんが、奥様を亡くされた後どうしているのか気になっていた。以前、このブログに書いたように、突然姿を消したからだ。姿を消したと言っても、私のような一般の読者の前に現れなくなっただけ。それでも、パッタリと見えなくなると心配になる。

だから、その一年後2020年に『女ともだち』が出版された時はホッとした。ホッとしたのも束の間、また早川さんは見えなくなった。

 

そして三年後の2023年、『海の見える風景』発行のお知らせ。すぐに予約した。

海の見える地に、終の住処を見つけて引越したそうだ。そこに一人で暮らしていらっしゃる。

自分で料理をしたり掃除をしたり。ステキな食器を見つけて購入したり、好みな女の子と朝食を食べたり。飼い犬のゆきちゃんと海岸を散歩したり。

あー、お元気そうでよかった。

 

そう思ったのだけど、読み進めていくうち、だんだん胸がしめつけられる。さみしさが、至る所から顔を見せる。何をしていても何を見てても。

 

美味しいものは毎日食べられる。

願いが届きそうな曲はまた聴きたくなる。

言葉を失ってしまう映画はもう一度観たくなる。そのたびに発見がある。

好きなのに好きと言えない人にはまた逢いたくなる。

 

なんだか、あんなに憧れていた一人暮らしを、もうしなくていいかなと思う。

一人が好きだけどずっと一人は寂しいだろうな。

誰か人の気配が欲しいな。

そんな気持ちがちょっとだけ湧いてくる。

 

早川さん、少しずつ少しずつ元気になってください。

最愛のしい子さんにもう一度会えるときまで、少しずつ。少しずつ。

 

 

f:id:marico1209:20240316174908j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

ミラーボールのお月さま

桑田佳祐のライブの知らせが届く。

『JAZZと歌謡曲シャンソンの夕べ』

いいかも、いいかも。

会場は、Blue Note Tokyoとクラブ月世界。

おー、待ってました。

ん?クラブ月世界て何処だろう。

検索してみると、神戸三宮のライブホール。

昭和のキャバレーだったお店らしい。

 

f:id:marico1209:20240301153015j:image

 

キャバレーかあ。

私が物心ついた頃はまだ、近所にいくつかキャバレーがあった。母が小料理屋をしていた縁でそのキャバレーとお付き合いがあり、両親に連れられて何度か行ったことがある。

テレビの歌謡番組に出る歌手が来て、ディナーショーなどしていた。

私は、そんな場違いなソファに座ってぐるぐる回るミラーボールの光を追いかけたり、スポットライトのベールを纏ったロングドレスの女性に見惚れたりしていた。

 

母の話では、まだ保育園児だった私を連れてストリップショーにも行ったらしい。途中で私がいなくなっていることに気づき探していたら、ステージの横で一枚ずつ脱ぎ捨てられる服を拾っては畳んでいたそうだ。

 

桑田佳祐も、ご両親がクラブを経営されていたので、子供の頃からホステスさん達と交流していたと聞く。

私も母の店や、隣りのスナックや、向かいのバーのホステスさん達に仲良くしてもらった。当時は皆んな住み込みで働き、家族に仕送りもしていた。華やかに見える彼女達は、本当は質素に一生懸命生きていたのだ。

 

クラブ月世界のホームページにあるホールの写真に、当時の情景が鮮やかに蘇る。

お酒を飲んで、歌ったり踊ったり、笑ってはしゃいで酔いしれて。その裏にはたくさんの涙も辛抱もあったのだろうけど、あー、良い時代だったなんて。

朧げな記憶しかないのに、そんな想いに浸ってしまう。

 

そんなホールで、桑田さんは何の曲を歌うのだろう。きっと当選できないだろうけど、ライブの様子を想像するだけで、なんだかとても幸せ。

 

f:id:marico1209:20240301155240j:image

 

 

 

 

 

 

帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。(高山なおみ)

夢と現実が混ざり合う感覚。

雨の音、赤ん坊の声、タクシーの運転手、ピアノ曲、みどりいろの電気…。

それが幻想なのか実際に起きているのかわからなくなるような。光と影の合間をユラユラと揺れているような。そして、それを楽しんでいるような。

 

この本に書かれているエッセイは、今まで読んだことのある高山なおみさんのものとは少し違っているような気がした。

後ろのページを見ると、1996年から2001年に月刊誌に連載されたものらしい。当時の著者の年齢は40歳前後。年齢によって頭の中が決まるわけではないけれど、あーなるほどなんて、自分勝手に納得してしまう。

 

さいきん、自分の感性が鈍っている気がする。以前はふとした言葉や出来事で、心が熱くなったり切なくなったり苦しかったり迷ったりしていたのに、今は

ふんふん、なるほどねー

あー、あるあるそんなこと

なんて俯瞰してしまう。

怖い夢を見ても、やーめた、と途中で目を覚ます技まで身につけてしまった。

 

若い時ほど感情を揺らすと疲れちゃうけど、なんだか情緒が無い。硬くなった自分の心の中に柔らかいものがどれだけ残っているのだろう。

見えないもの、聞こえない音、触れられない温度…。生きるために役に立たないそんな感覚が、本当は自分を守ってくれてきたはず。 

 

「誰が何と言っても、自分にはかけがえのないものなのだからそれでいい。自分だけにしかわからない特別なことを、ひとつひとつ味わってゆけば、それで充分なのだと…」

 

著者は少し先輩だけど同世代。今もご自身の感性を大切に生きていらっしゃる。

私ももう一度、自分の心の中を覗いてみようかしら。

 

 

f:id:marico1209:20240127143343j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

guitar

二歳の男子と二人で昼を過ごす。

アンパンマンのギターを持って、私に歌を歌えとせがむので『TSUNAMI』を歌ったら、首を横に振り続ける。


仕方ないので『真夏の果実』を歌ってみると、諦めたような顔をしてギターの弦をポロポロと指で弾く。


おまえはバンドするの?
と聞いたら、ウンウンと首を縦にふる。
そっか、ギターかっこよく弾いたらモテるかもよと頭を撫でたら、早く歌えと地団駄を踏んだ。


それじゃあとっておきだよ。
ソファにもたれて『わすれじのレイドバック』を歌っていたら、隣でギターを抱いたまま寝てしまった。
こんな良い曲の途中で眠ってどうする。

 


いい男になるんだよ。
懐の大きい、あったかい人にね。

 

 

f:id:marico1209:20231027172905j:image

 

 

 

これがあたたかい食べものになりますよう

13年前の3.11、私はたまたま婦人科の待合室にいた。前の日、お風呂の中で乳房に塊を見つけて驚いた。スーッと血の気が引くような気持ち。

当時はまだ認知症の父が実家に一人で暮らしていて、身の回りのことは私が通いながら世話していた。だから余計に、自分が入院などになったらどうするか、頭の中を整理しながら婦人科に車を走らせた。

待合室の壁にかけられた大きなテレビに、煙を上げる街と大きな波が映っている。ニュースのアナウンサーの叫び声。一瞬、映画かなと思って、それが現実に今起きていることだと認識するまで何分もかかった。

 

診察室から名前を呼ばれる。

エコー検査を受けながら、命って重くて儚いなと天井を見ていた。

 

今年の元旦は、自分の家も揺れた。

ユラユラユラユラ、一戸建てから集合住宅に引越したため、以前とは揺れ方が違う。

テレビテレビと娘があわててスイッチを入れると、非常事態になっている。

 

自分の暮らす地域ではないところで、誰かが瓦礫の下で耐えている。誰かが飲み水を待っている。誰かが寒さに凍えている。誰かが眠らず働いて誰かが…。

そんなことを思っていたら、自分の精神が疲弊する。共感疲労と言うらしい。

 

こんなことを書くと怒られるかもしれないが、災害じゃなくても、本当は毎日誰かがそんな思いをしている。病気と闘ったり、苦しみや不安に苛まれたり、明日の命を占ったり。生きるって嬉しいけど苦しいよね。

 

だから、遠く離れている私に出来ることは、信頼できる人に少しでも早く、形になる気持ちを届けること。お金が手っ取り早いならそれが良い。

ただ、それがすべて困っている人に届くような機関を選びたい。昨日、そんな振込先を見つけたので、さっそく銀行へ行ってきた。

 

疲労するのはやめよう。

いつも通り暮らそう。

身近にも遠くにも、自分が無理をせず、出来ることをしよう。

 

 

f:id:marico1209:20240108115826j:image