以前、ほぼ日刊イトイ新聞『今日のダーリン』に、糸井重里さんが娘さんから
「なんで勉強するの?」
と訊かれ、返事を考えてみたという話があった。
私もその質問をよく受ける。
「大人になってルート計算とか使うの?」
「歴史の年号を覚えて何の役に立つの?」
その度に、答えが見つからない。
確かに使わないよね、なんて納得してしまう。
ほんとに、子供達は憶えなきゃいけないことがとっても多い。とってもとっても多い。そして、確かに将来使わないだろうものもたくさんある。
糸井さんが書いてあったことをもう一度読もうとしたら、もう消えていた。『今日のダーリン』は、1日前の記事しか読めない。あー、コピーしておけばよかった。
たぶん、「力」という言葉が使われていた。
勉強したことは、力になる。人を喜ばせる力になる、だったかな。
やりたくない宿題をすること、眠さと闘いながら聞く授業、好きなことばかりじゃない勉強で辛抱も達成感もおぼえる。
毎日の小さな積み重ねが成果を出した時、やった分だけ自分に返ってくる嬉しさもわかる。
きっとそんなことを話しても、子供たちは今は何も納得できないだろうな。大人にならなきゃわからないことがある。
でも、子供たちに無限の力があることは事実だし、無限の良心があることも事実。
その力と良心を大人は見逃してはいけない。
見てあげてほしい。
娘が中学生の頃、あまりの勉強嫌いが心配になって父に相談したことがある。
「人は必ず誰かの役に立つように出来ている。この子にはいい笑顔がある。ただ、勉強で役に立たないだけだ。」
そうだった。
いろんな人に支えられて私たちは生きているのだものね。