誰のためでもなく絵本を買うようになった。
娘たちが幼い頃は、家計も気持ちも絵本を買う余裕がなかった。
それなのに、今になって絵本がおもしろい。
この二冊は、小川糸さんのエッセイの中で見つけた。ジョーン・ウォルシュ・アングランド原作で小川さんが翻訳をしている。
絵も色合いも好みですぐに注文した。
私が子どもの頃にも絵本を読んでいなかった。
小学生の頃は、いつも学習机の上に日本文学全集が三冊ほど重ねてあった。それは父が黙って置いたもの。芥川龍之介や夏目漱石や志賀直哉…もちろん読まない。
読まないのに、ひと月も経つと三冊は新しい作家のものに代わっている。
「むずかしくて読めないからもういいよ」
申し訳ない気持ちで父に言ってみたら
「わからなくても良いから開くだけでいい」
わからないのに面白くないとは言えず、中学生になるまでそれは続いた。
母を看取り、一人残った父の家に行くようになった頃、私はようやく自分で書棚からその本を取り出して開いた。読んでみようと思うまでに四十年もかかってしまった。
大人になったら「わからなくていいから開いてみる」ことが如何に大切かも理解できる。
春になったらどうなるの?
お友だちってどんな人?
今の子供たちは言葉では上手く答えるけど、感じる気持ちは開かれてるかな。
読んでほしい、聞いてほしい。
それでも絵本は読ませるものでも聞かせるものでもなくて、ただそこに置いておくだけにしている。
何歳になってもいい。私がいなくなっててもいい。いつか自分で手に取って開いてほしいから。