not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

ボヘミアン・ラプソディ

昨年末、友人に誘われて、映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。

そのとき彼女はすでに2度目で、翌週また一人で3度目を観に劇場へ出かけたらしい。

実を言えば、私はクイーンをあまり聴いたことがなかった。だから、クイーンへの愛着とか曲の知識も無くこの映画に出会った。

ラスト場面で隣の席の友人は泣いていたけれど、私はよくわからないままで、ロジャー・テイラーを演じたベン・ハーディが素敵だなぁ…とか考えていた。

 

それが、三日過ぎ、一週間過ぎ、半月経ち、頭の中で色んな場面や台詞や曲が蘇ってくる。

フレディの孤独が、少しずつ自分の中で反芻される。

あの場面の揺るぎない言動、社会的な偏見の中で生きる苦しみ、ルームランプの点滅、雨の中の勇気ある優しさ、どんな彼であっても受け入れる繋がり、家族とは血縁だけではないんだという認識…。

 

あの映画の中には、いろんなことが詰まっている。

それは、現代の社会の中で生きていくことにも結びつく。

もし、どこかの劇場で再び公開されたらもう一度観に行きたいなと、今さら思っている。

 

 

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今年の漢字

私は「抱」です。

悲しみを抱いて、苦しさを抱いて、愛おしさを抱いて。

可愛さを抱いて、悔いを抱いて、沈黙を抱いて。

抱いて、抱いて、抱いて。

 

四月には、父を抱きしめた。

子どもの頃から、父に抱かれた記憶はなく手を繋いだのもほんの数回。

逝く父を両手で抱きしめて、ありがとうを言った。

 

迷う自分を抱きしめ、孤独を抱きしめ、人の優しさに抱きしめられ。

 

今年もあとわずか。

 

皆さま、今年も抱きしめてくれてありがとうございました。

どうぞ、良いお年をお迎えください。

 

 

 

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そっとおやすみ (布施明)

娘が観ている音楽番組を何気なく見ていたら、突然、布施明が出てきた。

松崎しげると一緒に『君は薔薇より美しい』を歌っていて、二人の歌唱力に圧倒されながら、早く早くと慌てて出窓に置いてある母の写真を取りに行く。

 

母は昔から布施明が大好きで、テレビに出るたび両手を合わせてウットリ聴いていた。

「あーオトコマエだわ。歌も上手いし。お母さんはどうしてお父さんと結婚してしまったんだろう」

なんて独りごちていた。

 

そんなわけで、子どもだった私も知らず知らず布施明を聴いていた。

中でも『そっとおやすみ』は大好きで、一人ぼっちの部屋で背中のボタンに手を回す美しい女性を想像したりする。

 

最近、以前より自分が元気になっているような気がする。

自覚なく人と朗らかに接していたりする。長くおつきあいしている美容師さんからも

「元気になったねぇ」

なんて言われる。

女がこの年齢になって元気になるという話はよく聞く。

からだも心も足枷が取れてきて大らかに、悪く言えば図太くなるのかもしれない。

元気は嬉しいことだけど、ちょっとだけ寂しいことでもある。

 

元気になるというのは、孤独の準備。そして、色気との乖離。

背中のボタンを留めてくれる人も要らなくなるのは、なんとなく嫌だな。

 

母の写真をテレビの布施明に向けて一緒に聴きながら、ほら見えてる?聞こえてる?と訊ねたら胸が熱くなった。

なにかが足りない。なにかがちがう。

それでも、今日も元気。

 

 

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IN/SECTS magazine

冬の寒さは好きじゃないので、師走に入ってもなんとなく緩い気候はありがたい。

日々の反省は、午前中の時間の使い方。

6時に起きて、8時過ぎには家族を送り出す。その間に、食事を作り、食べた食器を洗い洗濯機のスイッチも入れる。

一人になったそこからがイケナイ。本とスマホと新聞がイケナイ。手帳もイケナイ。

洗いあがった洗濯物を干している途中で本を読む。

散らかった部屋を片付けているはずなのに、思いついてスマホを見る。

化粧をする手を止めて立ち上がり、カレンダーと手帳を合わせ見る。

もう11時。

仕事のメールの返信を書く。そうそう、あの部屋の窓を開けておかなくては。

そうそう、髪を巻かなきゃ外へも出られない。

友人から電話で長い愚痴を聞く。くるしい。

別の友人から映画に誘われる。うれしい。

そして正午。だめだわ。

 

近くの書店で、『IN/SECTS』という本に出合った。

小さくて薄い本にしてはちょっと高価だなと感じたけれど、これがとても興味深い。

How To Make a 'good shop'が、ギッシリ詰まっている。

「いいお店」って何だろう。

お皿の上だけ、商品だけ、つまり結果だけを求めて店を訪れるよりも、きっと有意義な時間になるんじゃないだろうかと

本を置いて、もう一度返信メールを開ける。

さっき急いで書いた四角四面の文面を、すこーしやわらかく書き換えよう。

相手の人のお顔を想像しながら…と、思い直せるようなmagazine。

 

 

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Falling in love

街の中は、もうクリスマス。

広場には大きなツリー。流れる音楽もディスプレイも、季節を急かす。

まだ早いでしょと横目で見ながら、そんな光景を見るといくつかの映画を思い出す。

その中の一つが、ロバート・デニーロメリル・ストリープの『恋におちて』。

 

今の風潮では目の敵にされるタイプの恋だけど、この映画が上映される頃はちょっとしたブームだったらしい。日本でも、この映画に触発されたドラマや曲が人気だったりした。

ただ、この映画を観るときは、良いとか悪いとかよりも"恋"に帰るような気がする。

 

クリスマス・イヴの夜、ニューヨークの書店でぶつかってお互いの本を落としてしまう。そんな出会い。

もっと逢いたい、もっと話したい、もっと触れ合いたい。でも、戸惑いに揺れる。

少年少女の物語のような純粋でせつないシチュエーションなのに、二人の大人がなぜか似合っている。

 

「なにもなかった」「よけい悪いわ」

 

という台詞は有名で、これが純愛なんだろうなと感心してしまう。

 

クリスマスまであとひと月。

賑やかなのも楽しいけれど、一人の夜にこの映画を観て、ちょっとだけロマンティックな気持ちになるのもいいかもしれない。

 

 

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日本の女(向田邦子)

先日、初めて"焼き鳥屋"へ行った。

夜に仕事を持っていると、夜に出かけられない。

なんとなく出難く、しかもお酒を飲まないので余計に機会も無い。

だから、焼き鳥屋も初めて。

そのカウンター席で、黒い厚みのある角皿に焼きたてを置いてくれる。

熱い熱いと言いながらホクホク食べては、串入れに串を落とす。

笑ったり泣いたりしながらお腹も気持ちも満たされる。

中でも、ミニトマトに豚肉を薄く巻いてタレで焼いた串がとても美味しかった。

普段あまりミニトマトを食べないのに、その香ばしさが忘れられなくて、家で再現してみる。炭火が無いのでフライパンで焼いたけれど、なかなか良い味に出来た。

 

向田邦子の『男どき女どき』には、小説とエッセイがある。

中の「日本の女」というエッセイが好き。

向田邦子のお母さんとお祖母さんが、たまの外食をしたときの話。

昔は、女の人が外でごはんを食べるのは贅沢だったようだ。

そんな滅多に無い外食をしたとき、注文していない間違えた料理が出される。それでも黙っていただく。

 

人前でものを食べることの恥ずかしさ。うちで食べればもっと安く済むのに、といううしろめたさ。ひいては、女に生まれたことの決まりの悪さ。ほんの一滴二滴だがこんな小さなものがまじっているような気がする。

 

女だって外食も出来る時代になった。女も男も平等に認められることが増えてきた。

それでも、女にしか出来ない喜び、女にしか出せない悦びもある。

それもだいじにしたいなと、このエッセイを読むたび思い出す。

 

 

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股旅 (奥田民生)

何年経っても手離したくないアルバムがいくつかある。

そのうちの一つが、奥田民生の『股旅』。

日々の生活から離れて旅をするのは、人の憧れ。

見たいもの、聞きたいこと、感じたいもの、食べたいもの、逢いたい人、喋りたい、体験したい憧れ。

  道祖神の招きにあひてとるものてにつかず…

と、昔の人も書いている。

 

久しぶりに二泊の旅が出来た。

それは、子育てや介護が楽になったからでもあるし、歳をとって少しだけ放っておいてもらえるようになったからかもしれない。

同行した友と、旅先の優しさに心あたためて嬉しい旅になった。

 

最近、"繰り返す暮らしの中で小さな楽しみを見つけるのが素敵" という傾向がある。

毎日を丁寧に暮らそう、慈しみを持って生きよう。

それはとても大切なこと。

 

でも、やっぱり私は我儘なのだろう。

  どけどけどけそこどけ

なのだ。

  さすらいもしないで このまま死なねえぞ

なのだ。

 

まだまだ楽しみ方がわからない。体力も行動力も足りない。

いつかはもっと自由に、一人旅をしたいな。

 

 

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