not too late

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猫の背中は綿あめの匂い(ササキアイ)

母の臍から下には、編み上げブーツのように縦に縫われた大きな傷があった。

 

子供の頃、近所に昔ながらの銭湯があり、時々母と二人で出かけた。

 

その大きな傷は「ていおうせっかい」のもの。

私の母にも私にも、臍の下に同じ傷がある。

そして、同じように、私も子どものころ母と銭湯に通っていた。

 

ササキアイさんのエッセイ『猫の背中は綿あめの匂い』#2帝王のお腹 ボスザルの背中

を、しみじみと読む。

 

そうそう。私は筆者より年上なので、銭湯も古いかもしれない。しかも、それは飲み屋街にあり、母も小料理屋を営んでいたため、湯に入るのは昼間だった。

ネオンの無い昼間に銭湯で体を洗う女性達は、たいがい出勤前のホステスさんだ。

湯煙の中、「猿山のような女の群れ」は子どもに毒になるような話を当たり前にしていた。

私が耳年増になったのも仕方ない。

 

「ボスザルみたいな婆さん」「瓶のコーヒー牛乳」「母の小柄で丸い背中」

当時の風景が有り有りと浮かんでくる。

 

私が帝王切開で出産することは、出産予定日の前に決まっていた。臨月のレントゲンで、恥骨と尾骶骨のカーブが産道を邪魔していることがわかったのだ。その時、産婦人科の先生が、

「お母さんも帝王切開だったね。この体型は遺伝だね」

と笑った。

私はそれを笑いながら母に伝え、母も同じように笑って聞いていた。

でも、その日の夜、母は一人で大泣きをしたそうだ。後に、あんたに同じ傷を作らせたくなかったと話してくれた。

 

アイさんが書いてあるように、女湯は「女同士の楽屋」。

裸になれば、誰も平等。傷も歪みもその人のもの。群れの中で身体を洗い、世間話で笑う。言葉にしなくても人生が見える。

 

そして私達は服を着て、また何度でも舞台に上がる。

 

素敵だなあ。

銭湯の良さは何十年経ても変わらない。

 

母の遺影をじっと見つめる。

あの日の夜、実は私も一人で泣いたのだ。自分で産めないのが辛くてね。

なんだか、 ありがとう。

 

 

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※エッセイは、雑貨と本gururi(ぐるり)さんの通信誌「めぐる」に掲載されています。