子供のころ、行きつけの店が四軒あった。
一つはパン屋。横断歩道の無い片道二車線のロータリーを渡るとすぐにある。いつもガラス戸を開け放していたので、白い三角巾とエプロンのおばちゃんが二人、道路を渡る私を見てニコニコと笑ってくれる。
「バナナロールをひとつください」
店の隅の小さなベンチに座って食べた。
食べている間、おばちゃん達とお喋り。
何か飲んでいたのかなぁ。きっと、飲み物は無かったと思う。
二軒目は寿司屋。暮らしていたアパートから歩いて一分ほどだった。昔は回る寿司など無かったので、小学生のくせに一人で暖簾をくぐる。
「いらっしゃい!」
たぶんご夫婦が営んでいた。挨拶をしてカウンターの丸椅子へ腰掛けると、注文しなくても"穴箱"が出てくる。子どもなので生魚の価値もわからないし食べられなかったけど、穴子は大好きだった。
と言うより、お寿司屋さんの穴子だもの。美味しいに決まっている。
三つめは、洋食屋。これは横断歩道を渡って一分ほど歩く。ヘンゼルとグレーテルの絵本に出てくるような煉瓦造りの小さなお店。
厨房からお兄さんがいらっしゃいと名前を呼んでくれる。
カウンターの端っこのスツールに座って待っていると、ヒレカツランチが出てくる。デミグラスが美味しくて、ナイフとフォークも嬉しくて、ちょっと大人びて食べていた気がする。
四軒目は食堂。十分ほど歩くと銭湯があって、昼間に一人でお湯に浸かり、帰りに寄って
「黒いおそばください」
その店にはうどんもラーメンもあったから、私は日本蕎麦をそう呼んでいた。
食べ終わると、店主のおばちゃんが
「歌をうたってよ」
歌謡曲を一つ歌うと、他のお客さん達も上手い上手いと褒めてくれる。
どの店も、支払いはツケだった。
母が後でまとめて払っていたのだと思う。
母も小料理屋をやっていたので忙しく、私の土曜日の昼ごはんはそうやって近所のお店で食べることが多かった。
それは贅沢に見えるけれど、お互いが相手の店にお金を落とし合う"持ちつ持たれつ"。
そんな関係が、当時は当たり前のようにあった。
先日、近くに用が出来たのでアパートまで歩いてみた。アパートは跡形もなく駐車場になって風が吹き抜けた。
パン屋も寿司屋も洋食屋も食堂も、もちろん無くなって、再開発指定区域の看板。
今、私の夢は再開発された頃にそこへ戻ること。でも、マンションは高価過ぎて手が届かない。
さて。どうやって帰ろうかしら。