not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

これがあたたかい食べものになりますよう

13年前の3.11、私はたまたま婦人科の待合室にいた。前の日、お風呂の中で乳房に塊を見つけて驚いた。スーッと血の気が引くような気持ち。

当時はまだ認知症の父が実家に一人で暮らしていて、身の回りのことは私が通いながら世話していた。だから余計に、自分が入院などになったらどうするか、頭の中を整理しながら婦人科に車を走らせた。

待合室の壁にかけられた大きなテレビに、煙を上げる街と大きな波が映っている。ニュースのアナウンサーの叫び声。一瞬、映画かなと思って、それが現実に今起きていることだと認識するまで何分もかかった。

 

診察室から名前を呼ばれる。

エコー検査を受けながら、命って重くて儚いなと天井を見ていた。

 

今年の元旦は、自分の家も揺れた。

ユラユラユラユラ、一戸建てから集合住宅に引越したため、以前とは揺れ方が違う。

テレビテレビと娘があわててスイッチを入れると、非常事態になっている。

 

自分の暮らす地域ではないところで、誰かが瓦礫の下で耐えている。誰かが飲み水を待っている。誰かが寒さに凍えている。誰かが眠らず働いて誰かが…。

そんなことを思っていたら、自分の精神が疲弊する。共感疲労と言うらしい。

 

こんなことを書くと怒られるかもしれないが、災害じゃなくても、本当は毎日誰かがそんな思いをしている。病気と闘ったり、苦しみや不安に苛まれたり、明日の命を占ったり。生きるって嬉しいけど苦しいよね。

 

だから、遠く離れている私に出来ることは、信頼できる人に少しでも早く、形になる気持ちを届けること。お金が手っ取り早いならそれが良い。

ただ、それがすべて困っている人に届くような機関を選びたい。昨日、そんな振込先を見つけたので、さっそく銀行へ行ってきた。

 

疲労するのはやめよう。

いつも通り暮らそう。

身近にも遠くにも、自分が無理をせず、出来ることをしよう。

 

 

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