not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

いいとこ取り!熟年交際のススメ( 西原理恵子)

『パーマネント野ばら』で、西原理恵子さんを知った。

最初はちょっと衝撃だったけれど、漫画やエッセイなどを何冊か読むうち、その深い慈愛と説得力に惹かれた。

幼い頃の極貧と、そこから自分の力で脱出した根性と、だからこその優しさ。

この本も以前読んだというのに、文庫本になってもう一度読みたくなった。

熟年交際の基本は、お互いが自立していることだと書かれている。

 

籍は入れない。

一生懸命仕事して時々好きな人と過ごす。

相手が嫌がることをしない言わない。

どうしても解せない時は、相手を日本語が上手な回教徒だと思えって。

 

「日本語上手ですね〜」
って褒めてやってください。そうすれば、自分も腹が立たない。

 

歴代の女性達が角をとってくれた男と、同じように少ーし丸くなった女と。

先が短いから許せる気持ち。

今日が大切だから笑い合える関係。

若い時には出来なかった、そんな有限の恋ができるといいな。

 

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旅上 ( 萩原朔太郎 )

看取り期に入った父は、水も食事も摂らず点滴だけでひと月、おだやかに過ごしている。

 

初めの頃はベッドでじっと目を開け、まばたきもせず何処かを見つめ続けていた。

そんな姿を見ていたら、ふと

    瓶にさす藤の花ふさ短かければ畳のうえにとどかざりけり

という短歌を思い出した。

なにか心残りがあるのかもしれない、もう少しやりたかったことがあるのかもしれない。

 

それから半月もすると、うつらうつら眠るようになった。苦しそうに唸ったり、顔をしかめたりした。そんな姿に

   旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

という句が、あたまに浮かんだ。

 

そして最近は、ほとんど眠っていて、声をかけたら目を開けてニコッと笑う。

寝言を呟いたり何かを食べるように口を開けたり。

医師が「どうですか?」と訊ねると、「楽しい」と応えたりする。

どんな夢を見ているのだろうと顔を見ていると、むかし父が好んで暗唱していた詩が浮かんだ。

 

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに

 

そうか。ふらんすへ行ってるんだ。人生の五月頃の自分に戻ってこころまかせに。

良い人生だったね。

わからないけど、そんな言葉を父にかけたくなった。

 

 

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You've Got Mail

今はあまり家で映画を観ないけど、以前はよくDVDをレンタルしていた。

ちょうど子供たちの手が離れて、親の介護も要らない頃だったと思う。

苦手なジャンルを除いて色々な映画を観たけれど、今でもまた観たくなる作品の一つが『You've Got Mail』だ。 

 

パソコンが立ち上がる時間がもどかしい恋。

昔のパソコンは、ONにしてから画面が出るまで随分時間がかかっていた。スマホも無かったから、メールは家のパソコンでするしかなかった。そんな時代が自分にもあったから、よけいに共感できるのかもしれない。

ストーリーは単純だけど案外深く、感情も時間もじっくりじっくり展開していく。
そして、トム・ハンクスメグ・ライアンが上手い。しかも、愛らしい。映像も綺麗で、音楽もなかなか良い。

 

好きな人から
I'm always here to you.
と、言われるのは何より嬉しい。

そして、
I wanted it to be you so badly.
と、言えるのは何よりしあわせ。

 

Don't cry, shopgirl.
Don't cry…

 

やっぱり、恋は始まりが一番楽しい。

そんな二人を思い出して、また観たくなる。

 

 

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Dulcimer ( りりィ )

りりィを初めて聴いたのは、まだ小学生の時。家庭教師のお兄ちゃんの車の中だった。

当時、母は路地裏で小料理屋をやっていた。お酒と料理の小さなお店で、其処へ通っていた大学生の一人が、私の家庭教師だった。

後に聞いた話では、学生達は皆んなお金が無かったので、飲食代の代わりに母の店の掃除や片付けをしてくれていたそうだ。そんな仕事の一つが、私の勉強をみることだったらしい。そして、私が一人っ子なので兄のような存在があればと「先生」では無く「お兄ちゃん」と呼んでいた。

 

店から自宅までは、車で三十分ほど。私の通う小学校は店の近くだったので、お兄ちゃんは下校した私を自分の車に乗せて連れて帰ってくれていた。勉強だけじゃなく、プールへ連れて行ってくれたり色んな話をしてくれた。

お兄ちゃんにはとても可愛い婚約者がいて、時々彼女も一緒に三人で出かけた。お兄ちゃんも彼女も優しくて、今思えば、あんなに良い人達はそうそういないとわかる。

 

その車の中で聴いたのが、りりィの『ダルシマ』というアルバム。

それまで、店の有線やテレビで聴いていた歌謡曲とは全く違うジャンルの音楽に心を打たれた。

その頃、自宅にはオーディオがあり、父が休みにはジャズを聴いていた。

そんな父に、りりィのダルシマというレコードを買って欲しいと頼んだら、すぐに買って来てくれた。オーディオは複雑で、子どもの自分には操作出来なかったので、父と一緒に聴いた。そうしたら、父も気に入ってくれて、りりィのレコードは少しずつ増えていった。

 

家庭教師のお兄ちゃんは、それから二年後に大学を卒業して横浜に就職。

婚約者と結婚したという便りをもらったけれど、歳月とともに自然に連絡は途絶えた。

二十年近く経って、私が結婚して長女を産んだ頃、お兄ちゃんが出張でこちらへ来て店に寄ってくれた。小料理屋は母の妹が継いでくれていたので、其処から私へ電話をしてくれた。懐かしくて「お兄ちゃん」と呼んだら、「もうお兄ちゃんじゃない、おじちゃんだよ」と笑った。変わらない話ぶりで嬉しかった。

 

りりィの曲は、私にとって宝物。そのレコードはいつの間にか実家から消えてしまっていたけれど、今はCDを少しずつ買い集めている。

そして、彼女が二年前に亡くなっていたことを、つい三日ほど前に知った。

時代は変わっても、彼女は無二の大好きなアーティスト。

いつまでもその作品や映像が残りますように。

 

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昭和式もめない会話帖 ( 大平一枝 )

ライターの大平一枝さんが好き。

大平さんの文章に初めて逢ったのは、二十年ほど前だろうか。タレントのちはるのインテリア本だった。ちはるのセンスも写真も好みだけど、その文章にとても惹かれた。

調べてみると、大平さんの『暮らしの柄』というサイトがあり、日記やコラムを読めて、著書もわかった。

心のこもった文章と、等身大のエピソード。取材する相手の気持ちに寄り添い、決して驕らない真摯な文章に、仕事の原点、生きる構えをおしえてもらえる。

 

『昭和式もめない会話帖』は、大平さんが魅了されている小津安二郎成瀬巳喜男増村保造木下恵介…など昭和の映画で、女優の放つ日本語の美しさや粋な会話のやりとりから、人付き合いに役立つ言葉が紹介されている。

 

私事だけれど、今、父の終末期ケアと向き合っている。看護師さんや担当医と話すとき、私は意思の疎通がとても下手なのだろう。違う意味に取られたり、感謝の気持ちがうまく伝わらなかったりする。

本当に、言葉って難しい。

 

大平さんは、この本をいつも身近に置いて使ってほしいと書いてある。

たとえ上手く使えなくても、その奥ゆかしさや心意気を真似てみたい。

 

 

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老いの道づれ( 沢村貞子 )

尽す女。貢ぐ女。それはたいてい、悪い女とされる。
果たして、ほんとうにそうなのだろうか。
沢村貞子さんのエッセイには、潔さがある。自分が惚れた人に迷いなく愛情をふりそそぐ。
お互い既婚で知り合い、二十余年後に結婚。
沢山の失敗や無念や障壁を、励まし合い労わり合いながら、二人で乗り越えてきた。
「お金が必要と言われれば働けば良いだけですから」と、嬉しそうに書いてある。

 

人は、誰でも、「これだけは譲れない」ものを持っている。自分の中にある揺るぎないもの。それは他人から見れば、頑固だったり面倒だったりする。長く付き合えば、お互いのそんなところが鼻についてくることもある。
でも、相手の其処を侵すことなく大事にしてあげることが、相手を喜ばせることなんじゃないかな、と思う。

何十年も連れ添える男女、友人って、お互いの其処を受け容れ愛おしめる人達じゃないかなと…。

 

「人生の最後に残るものは、集めたものではなく与えたものである」
という言葉がある。

与える喜びを知る人は幸せ。
だから、沢村貞子さんは幸せだったのだろう。

 

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熱帯安楽椅子 ( 山田詠美 )

確かに、愛しすぎると苦しみに追いかけられるようになる。
と、この本を読みながら改めて思った。
相手を好きになればなるほど、その人のすべてを知りたくなる。そして、自分だけのものにしたくなるからだ。
自分のものって、何だろう。そんなことは100%不可能なのに。

 

森瑶子さんの解説がまた良い。

     始まりは肉体である。そしてなりゆきは心である。などという発想を、ふしだらと決めつける人間は、現在でもかなりの大多数なのではないかと思う。

始まりは肉体とは言え、誰とでも始まるのではない。出会いがたとえ十秒間だとしても、相手を見極めているのだ。
解説にあるように、さんざん遊びまわったあげく、結婚となれば高学歴高収入高身長のイケメンを選ぶ女のほうがよほどふしだらだと、私も思う。

 

「肉体の結びつきは恋や愛じゃなく信頼だ」
という言葉がある。
恋や愛じゃないなら、自分は愛されていないのかしらと不安になるかもしれない。
でも、歳を重ねてその意味がわかった気がする。
快楽は、小さな小さな思い遣りの連続の中で生まれる。それが積み重なって大きな悦楽となり、相手への慈しみに帰する。

 

この小説を見つけたのは、今年の七月。性愛への興味だけが先行している頃に読まなくてよかった。
言葉がいい。飾られていない美しさ。作られていない作品。


山田詠美さんが誰よりも心の純粋な人だという意見に、私も賛同したい。

 

 

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