看取り期に入った父は、水も食事も摂らず点滴だけでひと月、おだやかに過ごしている。
初めの頃はベッドでじっと目を開け、まばたきもせず何処かを見つめ続けていた。
そんな姿を見ていたら、ふと
瓶にさす藤の花ふさ短かければ畳のうえにとどかざりけり
という短歌を思い出した。
なにか心残りがあるのかもしれない、もう少しやりたかったことがあるのかもしれない。
それから半月もすると、うつらうつら眠るようになった。苦しそうに唸ったり、顔をしかめたりした。そんな姿に
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
という句が、あたまに浮かんだ。
そして最近は、ほとんど眠っていて、声をかけたら目を開けてニコッと笑う。
寝言を呟いたり何かを食べるように口を開けたり。
医師が「どうですか?」と訊ねると、「楽しい」と応えたりする。
どんな夢を見ているのだろうと顔を見ていると、むかし父が好んで暗唱していた詩が浮かんだ。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに
そうか。ふらんすへ行ってるんだ。人生の五月頃の自分に戻ってこころまかせに。
良い人生だったね。
わからないけど、そんな言葉を父にかけたくなった。