先日久しぶりに、古今和歌集の仮名序を読む機会があった。
やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。
(和歌は、人の心をもとにして、たくさんの言葉になったものである。)
よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。
(この世の中に生きている人は出来事が多いものだから、心に思うことを、見るもの聞くものに託して言い表しているのである。)
はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。
(花に鳴く鶯や、水に住む蛙の声を聞いたら、生きているものすべてに歌を読みたくなるだろう。)
先日、「せつないとか恋しいとか悔しいとか…そんな複雑な感情って言葉に出来ない」という記事を読んだ。
ほんとうに、自分の気持ちを言葉であらわすのは難しい。ピッタリなものが見つからないのでいろいろ探した挙句、言葉は要らないなと思ったりする。
でも、仮名序を読んだとき、ハッとさせられた。
ほんとうに、人の心を言い表す言葉は無いのかしら。
現代に言葉は溢れているけれど、もしかすると、溢れてきたのは別の言葉なんじゃないかしら。
言葉と言葉の合間に浮かんでくる、そんな思いを伝えられるといいのに。
ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。
(力を入れないで天や地を動かし、目に見えない霊魂をもしみじみとさせ、男と女の仲をも和らげ、猛者の心も慰めるのが歌なのだ。)