not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

旅上 ( 萩原朔太郎 )

看取り期に入った父は、水も食事も摂らず点滴だけでひと月、おだやかに過ごしている。

 

初めの頃はベッドでじっと目を開け、まばたきもせず何処かを見つめ続けていた。

そんな姿を見ていたら、ふと

    瓶にさす藤の花ふさ短かければ畳のうえにとどかざりけり

という短歌を思い出した。

なにか心残りがあるのかもしれない、もう少しやりたかったことがあるのかもしれない。

 

それから半月もすると、うつらうつら眠るようになった。苦しそうに唸ったり、顔をしかめたりした。そんな姿に

   旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

という句が、あたまに浮かんだ。

 

そして最近は、ほとんど眠っていて、声をかけたら目を開けてニコッと笑う。

寝言を呟いたり何かを食べるように口を開けたり。

医師が「どうですか?」と訊ねると、「楽しい」と応えたりする。

どんな夢を見ているのだろうと顔を見ていると、むかし父が好んで暗唱していた詩が浮かんだ。

 

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに

 

そうか。ふらんすへ行ってるんだ。人生の五月頃の自分に戻ってこころまかせに。

良い人生だったね。

わからないけど、そんな言葉を父にかけたくなった。

 

 

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