not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

人生の贈り物 ( 森瑤子)

森瑤子さんが、五十二年間の短い人生を駆け抜け天に召されて、二十四年になる。
絶版となった『人生の贈り物』を、時々開いて読んでみる。
彼女が旅先で出会い心惹かれて手に入れた三十三の愛用品が、写真とエピソードで紹介されている。どれもため息が出るほど繊細で美しいものばかりだ。

普通の主婦だった彼女は、三十七歳で作家になり、多くの人に愛され沢山の作品を遺した。贅を尽くした生活も旅も、エッセイに書かれている。

そんな華やかでお洒落な著書をいくつも読んだけれど、私は彼女がとても身近に感じられた。なぜだか、共感できるものがあった。

この本の最後に、亀海昌次さんの「森瑤子に、もうひとつの石を」という文章がある。
死の床を見舞った最後の時間に、胸がしめつけられる。

彼女がまだ作家になる前、二人は婚約していたそうだ。それから後、作家として人気が出れば出るほど、彼女は書くことが苦しくなっていく。書けない時は、冷や汗を背中に滲ませながら一つの石を握りしめ祈っていたらしい。

亀海さんは、彼女が亡くなった後、もう一つの新しい石を川奈の海に探しに行くと書いてある。彼女の愛した太陽と潮風と海の匂いをたっぷりと吸い込んだ、安らぎのある温かくて丸い石を。

   彼女とぼくとが一個500円のステンレスの指輪をそれぞれの指にはめてひと夏を過ごし、その夏の終わりに二人して指輪を海に投げ捨てた、その川奈の海である。

本の中に並ぶ高価で美しいものたちと、川奈の海に捨てたステンレスの指輪やもう一つの石が対比される。

ステンレスの指輪は、誰にも言わない心に刻んだ大切なもの。そして、もう一つの石は安らぎの源。
森瑤子さんが本当に愛し探していたのは、そんな名も無いステンレスや石だったんじゃないかと、なんとなくそんな気がする。
そう思わせる人だから、いつまでも彼女を身近に感じるのかもしれない。

 

f:id:marico1209:20171120151302j:plain