not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

ドラマで始まる恋なのに(サザンオールスターズ)

秋になると聴きたくなる曲の一つに、サザンの『ドラマで始まる恋なのに』がある。

これは、1996年に発売された12枚目のオリジナルアルバム『Young Love』に収録されている。

その後、なぜか『バラッド』などのベストアルバムにも収録されず、ライブでもたぶんまだ一度も歌われていない。

こういう曲を"レア"と言うのだろうか。

 

長く活動を続けているどのアーティストにも、こんな風に、たった一つのアルバムでしか聴けない曲があるんじゃないかと思う。

 

その曲が秀逸で、何年経っても好きで、聴くたびに心切なくなる。

可愛い睫毛の先まで恋焦がれてたひと。

死ぬ程愛してせつない言葉で抱きしめたひと。

あの夏の恋が思い出に変わる…

 

今日は、少し遠くの友人の家まで車を走らせた。誕生日のお祝いにランチをご馳走になった帰り道、いつもは通らない農道を走る。

頭を垂れて風に揺れる稲穂や、薄い秋雲が重なる澄んだ空を見ながら、この曲を聴いた。

 

ふと、サザンのライブ限定曲の歌詞が頭に浮かぶ。

  

   あの日から何度目の夏が来ただろう

   出逢ったり別れたり繰り返し

   美しい思い出も大切だけど、人生はこれからを夢見ることさ…

 

来年の秋もまた『ドラマで始まる恋なのに』を聴きたくなると思う。

その時、新しい思い出を一つ積み重ねていられたら嬉しい。

 

 

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あん

映画『あん』を観た。

ずっと気になっていたのに、先延ばしにしていたら、主役の樹木希林さんが亡くなってしまった。

なんて、さみしい。

 

この作品は、襟を正して観たいものだった。

「生きる」ということ、「自由」ということ。

「せつない」とか、「嬉しい」とか、そんな言葉では表せない感情。

誰にも苦しみはあるけれど、自分の努力や頑張りでは一生打破出来ない苦しみを背負うこともある。

そんなとき、どう生きるのか。

 

「私たちは、この世を見るために、聞くために生まれてきた
この世はただそれだけを望んでいた
だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ」

 

どれだけ素晴らしい俳優さんがいても、樹木希林さんじゃなきゃ生かせない映画があると思う。

彼女が話すから、生きる台詞がある。

 

河瀬直美監督の映像、カメラアングルもおもしろい。

 

あのカナリアが、どこかの空で鳴いているような気がする。

耳を澄ませたら、きっと、聞こえてくるね。

 

 

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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス

前作から、もう18年も経っていたんだ。

二作目で最後の作品になるらしい『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ☆アディオス』を、ようやく観ることができた。

 

キューバの歴史、自然、音楽。

イブライム・フェレールオマーラ・ポルトゥオンドコンパイ・セグンド、ルベーン・ゴンサーレス…高齢のミュージシャン達の演奏、声、懐深さ、揺るぎなさ。

人生とか、苦悩とか、愛とかをもう一度見つめたくなる素敵なドキュメンタリー。

 

産まれた場所も、環境も、年代もそれぞれ異なる私達が、抗えない中でどう生きるのか。幸せとか不幸とかの言葉で分けられないアディオス。

その答えは、この映画の中の彼らの顔に書かれているような気がした。

 

たまたま、この日、友人からランチに誘われた。

実はこういう映画を観に行くつもりなんだけど、良ければ一緒にどう?と誘ってみた。

音楽や映画には興味の無い彼女が、珍しく乗り気になって二人で観た。

観終わって外に出て信号を待っていたら、友人が

「あんな人生も良いなと思った」

と、ポツリ。

 

何にしても、映画のラストからエンディングまで、立ち上がって踊りたかった。

なぜ皆んな、座っていられるのか不思議だった。

次回、DVDで観るときは、ひとりでいっぱい踊ろうと思う。

 

 

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アンコール( 斉藤和義 )

晴天続きの酷暑が、少ーし緩まったら、今度は連日の大雨。

日本各地で、豪雨や地震、土砂災害が続く。

被災した人達のことを思えば、やっぱり気持ちが沈む。遠い空の向こうを案じていたら、自分のスマホがけたたましく緊急速報を知らせる。

他人事じゃないね。

 

ようやく雨があがったけれど、今朝はめずらしく体が重く家に籠る。

篭って、一昨日と昨日の洗濯物を乾かしたり、仕事の書類を作ったりしていると、よけいに体調が悪くなってくる。

そこへ、お世話になっている本屋さんから電話。注文していた文庫が届いたそうだ。

 

服を着替えて、出かける。

そうだ、新しい企画を考えていたんだ。先日、友人から提案をもらったもの。

実現できるかわからないけれど、やってみたいなぁと思いながら雨上がりの少し冷んやりした道を歩く。

 

   どこへ行こうか お酒も飲みたいから たまには歩いて行かないか
   雨もあがって 風も涼しくなった きれいな月も出てる…

 

ふと、斉藤和義の『アンコール』が頭の中を流れる。

やりたいことは、やれるうちにやっておきたい。

逢いたい人に、逢えるうちに逢っておこう。

 

本屋から帰ると、少し元気が出てきた。

今日も仕事だ。

 

 

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Segundo Trio Esperanca (Trio Esperanca)

十年ほど前だったか、まだネットでの交流が新鮮だった頃。

ある「掲示板」で色々な方とお話しさせてもらっていた。

経営者さん、お医者さん、物理研究者さんなど、職種も年齢もバラバラな方達が、音楽、映画、スポーツ、暮らし…それぞれの日々の一部を共有する。

みなさん、ウイットある会話をあっさりとしていたので、気負いなく楽しかった。

優しい方ばかりで、映画や音楽アルバムの情報を教えてもらったり、たまにCDのコピーを送ってもらったりもした。

 

トリオ・エスペランサの『Segundo 』は、そのうちの一枚。

ブラジルで生まれた三姉妹のコーラスグループ。

このアルバムは彼女達の二作目で、アントニオ・カルロス・ジョビンの作品が中心となっている。三人の絶妙なアカペラが、なんとも言えず美しい。

 

秋の虫の声、三人の囁きのような会話から始まる。

だから、この季節が来ると必ず思い出して聴く。

気温はまだまだ高いけれど、忙しかった夏が終わりちょっとひと息つける季節にとても似合う。

そして、聴きながらいつも、このアルバムを薦めてくれた人はお元気かしらと思う。

ずいぶん前にその掲示板は無くなっても、後に結婚したという便りをいただいた。

 

ネットにも良い出逢いがある。

皆さんが元気でありますように。

 

 

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九月

なんとなく涼しい。そう感じたら今朝は気温が27度。

   夏の終わりはいつでも…

気がつくと、原由子の『恋はご多忙申し上げます』を歌っていた。

   秋が恋をせつなくすれば…

まだまだ、桑田佳祐の曲には意外に「秋」が多い。

 

九月は、自分が生まれた月。

そして、母が逝った月。

 

さいきん、ちょっとツイッターを見ている。好きな人や興味ある人。

他の人がイイネしたりリツイートしたりする呟きも流れてくる。その中に、82歳の女性のがあって好ましい。

よく見ると母と同じ年の生まれで、居酒屋を長くやってきた人。

母も小料理屋を長くやっていたので、なんとなく親近感が湧く。

話しかけてみると、すぐにお返事をくださり、

   貴女の母上様も私と同じで頑張り屋さんでしょうね、きっと!

と書いてある

 

そうなんです。頑張り屋さんでした。

 

私もあと何年生きられるかわからないけれど、もうひと花。

咲かせられるかななんて、色んな想像をしながら、また歳を一つもらおうと思う。

 

 

 

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かんがえる子ども (安野光雅)

ランドセル商戦がピークだそうだ。

GPS付きや、端末タブレット収納機能。2011年度から実施された「脱ゆとり教育」による教科書や教科の増加で、ランドセルも大型化しているらしい。

詰め込み教育から、ゆとり教育、やっぱり脱ゆとり。

なんだかなぁ…と思ってしまう。

 

『かんがえる子ども』という本を見つけた。著者の安野光雅さんは、絵本作家。

 

この頃の天気予報は、「雨になるおそれがあるので、傘を持ってお出かけになる方がいいでしょう」などと、天気予報以外のこともいいます。

サービスのつもりでいってるのだと思いますが、これは、ほんとうは自分で考えることです。

 

そうして、傘を持って出て雨が降らなかったら天気予報に文句を言ったりする。

現代は、数多の情報が溢れていて、私たちは他にもたくさん"考えなくてもすむようになっていること"がある。

誰々がそう言ってた。何々にそう書いてあった。学校でそう習った。そう答えたら大人が喜ぶ、褒めてもらえる。だから、皆がそう答えて丸くおさまる。

 

むかし、高校三年のとき、大学に行きたいと両親に頼んだら、母に

「大学に行って、何になるの?」

と聞かれたことがある。返答に困っていると、父が

「大学は、何かになるために行くんじゃない。考えるために行くんだ」

と言ってくれたのを思い出す。

 

子どもには、たくさん考えて色んな答えを見つけてほしい。

大人も日々、たくさん考えながら暮らしたい。

そうすると、豊かになるんじゃないかな。心も、からだも。

 

 

 

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