not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

フランス人が「小さなバッグ」で出かける理由(デブラ・オリヴィエ)

バッグを替えた。私の場合、バッグはブランドにこだわりが無く、一目惚れで買う。

 今回買ったものは、好きなスタイリストさんのプロデュースで、岡山の革職人さんが作ったもの。MINI BOOK BAG という名の通り、小ぶりで使い勝手良く美しい佇まいが嬉しい。

 

そんな小さなバッグを持って出かけた本屋で、『フランス人が小さなバッグで出かける理由』というタイトルを見つけ、ちょっと興味が湧いて手に取ってみた。

著者はデブラ・オリヴィエという女性。フランス人と結婚してフランス国籍を取得している。

フランス人女性とアメリカ人女性を比較しながら、フランス人女性の考え方や生き方を紹介した内容。

 

著者によると、フランス人女性は人目を気にせず自分を大切に生きる。そして、一人の男性に何もかも求めない。物事を二択で考えずグレーゾーンで居られる。

それに対して、アメリカ人女性は他人からの評価を重要視して、相手への評価は白か黒かの戦闘体勢になりがちらしい。

 

むかし、伊藤守著の『ご機嫌の法則』という本を読んだとき

  問題は解決しなければならないのだろうか

  抱えたままにしておいてはいけないのだろうか

という言葉に、ハッとさせられたことを思い出した。

一概には言えなくても、生きていく中でグレーゾーンは大切だと改めて感じる。

 

文章が長くて細かいので全部を読むのは難しい。最後に箇条書きのまとめがあるので、それを読むのも良い。

フランス人が小さなバッグで出かける理由ははっきり書かれていないけれど、誰かと比較しない自分自身を愛しめるようになれたら、バッグはだんだん小さくなるのかもしれない。

 

 

f:id:marico1209:20180516190841j:plain

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

Toes (Zac Brown Band)

何処にいても、聞こえてくる音楽をアプリで認識できるのはありがたい。

いいなと思ったら、すぐにタイトルとアーティストがわかる。

つい先日も、それでこの曲を知った。

 

今日は朝から雨。

皆が出払って一人コーヒーを淹れて、Zac Brown Band を聴く。

色んなタイプの曲があるけれど、こんなどんよりした日は「Toes」や「knee deep」が良い。

 

i got my toes in the water,ass in the sand

not a worry in the world, a cold beer in my hand…

 

ただ悲しい時は、音楽が聴けなくなる。

そして一つ肩の荷を下ろせば、また別の荷物が乗っかってくる。

でも、楽しいことも日々にはある。

できるだけ、楽しいことを考えよう。

難しいことは、もういいよね。

 

 

 


Zac Brown Band - Toes (Video)

 

 

 

Toys Blood Music (斉藤和義)

ライブに行く前に、斉藤和義19枚目のオリジナルアルバム『Toys Blood Music 』を聴いた。

やっぱり好き。ますます良い。

今までのアルバムも好きだけど、どんどん良くなる気がする。

 

たとえば、自分にしっくりくる下着があるとする。肌のように馴染み動くそれをもう一枚欲しくなって買いに行くともう新しいデザインに変わっていたりする。

同じものでは売れないのかもしれないし、改良されているのかもしれない。

それを買って帰って着けても、ちがうちがう、これじゃないのと悲しくなる。

 

斉藤和義は、新しくなっても改良されても、その大好きなものは変わらない。

それは何?と訊かれても簡単に言葉には出来ない"しっくり"なのだ。

 

カフェに一人でゆっくりしていると、隣のテーブルの話が聞こえてきた。

三十代くらいの女性が、男の人を紹介してもらった話をしている。

二人でご飯を食べて、お喋りもあまり無く、帰り際に連絡先を交換した。家に戻って暫くすると、その人から電話がかかってきたそうだ。

嫌なタイプではないけどいきなり電話は無いんじゃないのと思って、出なかったと言う。

話を聞いていた四十代くらいの女性が

「チュー出来そうな相手なら、もう一度会ってみれば? チュー出来ればその後も出来るよ。その後が嫌でも最初だけだから」

と、笑う。

 

それじゃあいつまでも恋はできない。

貴女も斉藤和義を聴きなさい。

 

 

f:id:marico1209:20180502115808j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恋は底ぢから (中島らも)

お気に入りのブログがいくつかあって、更新を楽しみにしている。

中でも『…しょうがないにぃ〜』は、十年以上読み続けている。

時々ものすごくツボな記事がある。そして、その本やアルバムをすぐ注文して読んだり聴いたりする。

 

中島らもの『恋は底ぢから』もそのうちの一つ。

http://blog.livedoor.jp/leitch/archives/52280119.html

(ブログ『…しょうがないにぃ〜』の記事「恋の言葉」)

 

この本を読んでみると、みうらじゅんとかクドカンとか早川義夫とかを連想したけれど、考えてみれば、それらもこのブログで知った。

それらは、クスッと笑えるだけじゃなく、不意にものすごく納得できることが書かれてあるから面白い。著者の他人とは違う思想が魅力なのに、どこか寄り添いたくなるような親近感が湧く。

きっと自分の中にも、同じような穴ボコや嗜好や、譲れないものがあるのだろう。

 

『恋は底ぢから』では、著者の恋愛観や人生観や仕事観がオモシロイ話の中に感じられる。ぶっと吹き出して、後でちょっとせつなくなるような繊細さがある。

 

  恋愛は日常に対して垂直に立っている

 

  アクセサリーで身を飾るというのは、少しだけ自分を「失ってみせる」ということである

 

  もし誰かを愛していないとしたら、結局僕は「いない」のだ…

 

愉しい本を読んでいると、スマホが行方不明になる。

煩わしいことを忘れ読み耽り、読了後にはなんだかわからないパワーを感じたりするから不思議。

 

 

f:id:marico1209:20180425093533j:plain

 

 

 

 

 

小さな旅

父の出生からの戸籍を取るため、県北の町に車を走らせた。

郵送請求も出来るけれど、父が生まれた町の名前が今は無く、どの役場に戸籍があるのか分からないので、辿り教えてもらった町役場へ出かけてみたのだ。

片道一時間半。走行距離に比例して、街から田舎になっていく。山と川と田んぼの景色が続き、お天気も良くて気持ちいい。

 

父が生まれた家へは、子供の頃よく遊びに行った。

父は六人兄弟の次男で、生まれてすぐ親戚の家の養子になった。生みの母親は、親同士の約束に従うしかなく、我が子を取られ毎日泣き続けたと話してくれた。そんな実母に会うため、父は、育ての母に内緒で里帰りをしていた。両親や兄弟達がいつもあたたかく迎えてくれて、一晩中お酒を飲んで笑っていたっけ。

 

到着してみると、町は昔と違って新しい建物も増えている。

役場を二つ訪ねて、書類が揃った。

長閑な町を見渡していると、赤ん坊のときの父が見えるような気がした。

 

帰り道も一時間半。

生まれてから亡くなるまでの戸籍を取りながら、父の人生を辿る旅ができた。

家に帰って、遺影に報告をする。その顔がいつもより嬉しそうに笑っているように見えた。

来週はこの書類を持って、次の手続きに出かけよう。

 

 

f:id:marico1209:20180421084809j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅田次郎

まだ夢の中にいるような日々。

目を醒ませるために、とりあえず美容院に行ってみる。

そこで開いた雑誌に、浅田次郎のインタビュー記事があった。

 

一時、浅田次郎の作品をたくさん読んだなぁと思い出す。

壬生義士伝』、『プリズン・ホテル』春夏秋冬四巻、『蒼穹の昴』四巻、『珍妃の井戸』、『中原の虹』四巻、『地下鉄に乗って』、『鉄道員( ぽっぽや )』、『月島慕情』、『月のしずく』、『霞町物語』…などなど。

 

長編は苦手。歴史物も苦手。戦争も苦手。

だったはずなのに、浅田次郎の作品に限り、そのすべてを手に取り黙々と読んだ。

読みながら姿勢を正したくなる。だけど、面白くて笑ってしまう。そして、いつまでも胸に残る。

何故だろうと思っていたら、インタビューでその理由がわかった気がした。

 

僕のモットーは、「おもしろく、わかりやすく、美しく」。

フロベールの言葉に「ひとつのものを表すにはひとつの言葉しかない」というのがある。最善の言葉を見つけ出し、それらを組み上げていくことで美しい文章が生まれ美しい物語になる。

 

小説は嘘の世界だけど、ただの嘘じゃ書いてても読んでもつまらない。最低限の約束は守る、責任は取る、嘘をつくだけの土台を固めた上で、大嘘をつく。つまらない小説を読むと、「自分の小説もこう読まれていたら…」と思って怖くなるから。

 

「次の段階で直そうと思うと、最初から間違う」 、これは僕の作家的信条。次の段階で直そうと思ったらダメ。後でこう書けばよかったと思わないように、未来の自分に恥ずかしくないように。

 

こんなに精魂尽くして書かれているから、苦手も何も関係なく読めるのかもしれない。

そして、自分の仕事も、こんな風にやらなきゃと思う。一つひとつに妥協せず、心を尽くして。

そう思って少し、目が醒めてくる。

 

 

f:id:marico1209:20180414100454j:plain

 

DEBUT AGAIN ( 大滝詠一 )

最近また、このアルバムが聴きたくなって。

と言うより、大滝詠一の声が聴きたくなって。

よく見ると2016年3月21日のリリース。ああ、ちょうど今くらいの季節だったんだと納得する。陽光とか風とか空の色とか、そういうもので、同じ頃聴いていたアルバムを思い出すことがよくある。

 

『DEBUT AGAIN』は、セルフカバーアルバム。

どれも聴いたことのある、懐かしく馴染み深い曲ばかり。

もちろん、ラッツ&スターの「Tシャツに口紅」はせつなくて好きだし、薬師丸ひろ子の「すこしだけ やさしく」には吸い込まれるような魅力があるし、松田聖子の「風立ちぬ」、多数のアーティストがカバーした「夢で逢えたら」は名曲。

でも、大滝詠一が歌うと、その曲の良さが改めてわかる。ああ、この曲ってこんなに素敵なんだと思わせられる。

 

ここ数日、ほんわりと霞んだ晴天が続く。桜も咲き始めて、なんとなく嬉しかったりせつなかったり。

今日は父から離れて、桜並木を散歩でもしようかな。

花の下で聴く大滝詠一の「夢で逢えたら」は、きっと格別だろう。

 

 

f:id:marico1209:20180327094403j:plain