not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

海の見える風景(早川義夫)

実は未だ、一度も一人暮らしをしたことがない。

高校を卒業したら親元を離れようと、いや離れたいと考えていた。自由気ままな学生生活に憧れ、東京にある美大を受験することにした。

そのためのデッサン塾にも通い勉強もしていたけれど、母親の猛反対に遭い、涙ながらに諦めた。

それからずっと、一人暮らしの夢は叶えられていない。

 

早川義夫さんが、奥様を亡くされた後どうしているのか気になっていた。以前、このブログに書いたように、突然姿を消したからだ。姿を消したと言っても、私のような一般の読者の前に現れなくなっただけ。それでも、パッタリと見えなくなると心配になる。

だから、その一年後2020年に『女ともだち』が出版された時はホッとした。ホッとしたのも束の間、また早川さんは見えなくなった。

 

そして三年後の2023年、『海の見える風景』発行のお知らせ。すぐに予約した。

海の見える地に、終の住処を見つけて引越したそうだ。そこに一人で暮らしていらっしゃる。

自分で料理をしたり掃除をしたり。ステキな食器を見つけて購入したり、好みな女の子と朝食を食べたり。飼い犬のゆきちゃんと海岸を散歩したり。

あー、お元気そうでよかった。

 

そう思ったのだけど、読み進めていくうち、だんだん胸がしめつけられる。さみしさが、至る所から顔を見せる。何をしていても何を見てても。

 

美味しいものは毎日食べられる。

願いが届きそうな曲はまた聴きたくなる。

言葉を失ってしまう映画はもう一度観たくなる。そのたびに発見がある。

好きなのに好きと言えない人にはまた逢いたくなる。

 

なんだか、あんなに憧れていた一人暮らしを、もうしなくていいかなと思う。

一人が好きだけどずっと一人は寂しいだろうな。

誰か人の気配が欲しいな。

そんな気持ちがちょっとだけ湧いてくる。

 

早川さん、少しずつ少しずつ元気になってください。

最愛のしい子さんにもう一度会えるときまで、少しずつ。少しずつ。

 

 

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ミラーボールのお月さま

桑田佳祐のライブの知らせが届く。

『JAZZと歌謡曲シャンソンの夕べ』

いいかも、いいかも。

会場は、Blue Note Tokyoとクラブ月世界。

おー、待ってました。

ん?クラブ月世界て何処だろう。

検索してみると、神戸三宮のライブホール。

昭和のキャバレーだったお店らしい。

 

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キャバレーかあ。

私が物心ついた頃はまだ、近所にいくつかキャバレーがあった。母が小料理屋をしていた縁でそのキャバレーとお付き合いがあり、両親に連れられて何度か行ったことがある。

テレビの歌謡番組に出る歌手が来て、ディナーショーなどしていた。

私は、そんな場違いなソファに座ってぐるぐる回るミラーボールの光を追いかけたり、スポットライトのベールを纏ったロングドレスの女性に見惚れたりしていた。

 

母の話では、まだ保育園児だった私を連れてストリップショーにも行ったらしい。途中で私がいなくなっていることに気づき探していたら、ステージの横で一枚ずつ脱ぎ捨てられる服を拾っては畳んでいたそうだ。

 

桑田佳祐も、ご両親がクラブを経営されていたので、子供の頃からホステスさん達と交流していたと聞く。

私も母の店や、隣りのスナックや、向かいのバーのホステスさん達に仲良くしてもらった。当時は皆んな住み込みで働き、家族に仕送りもしていた。華やかに見える彼女達は、本当は質素に一生懸命生きていたのだ。

 

クラブ月世界のホームページにあるホールの写真に、当時の情景が鮮やかに蘇る。

お酒を飲んで、歌ったり踊ったり、笑ってはしゃいで酔いしれて。その裏にはたくさんの涙も辛抱もあったのだろうけど、あー、良い時代だったなんて。

朧げな記憶しかないのに、そんな想いに浸ってしまう。

 

そんなホールで、桑田さんは何の曲を歌うのだろう。きっと当選できないだろうけど、ライブの様子を想像するだけで、なんだかとても幸せ。

 

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帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ。(高山なおみ)

夢と現実が混ざり合う感覚。

雨の音、赤ん坊の声、タクシーの運転手、ピアノ曲、みどりいろの電気…。

それが幻想なのか実際に起きているのかわからなくなるような。光と影の合間をユラユラと揺れているような。そして、それを楽しんでいるような。

 

この本に書かれているエッセイは、今まで読んだことのある高山なおみさんのものとは少し違っているような気がした。

後ろのページを見ると、1996年から2001年に月刊誌に連載されたものらしい。当時の著者の年齢は40歳前後。年齢によって頭の中が決まるわけではないけれど、あーなるほどなんて、自分勝手に納得してしまう。

 

さいきん、自分の感性が鈍っている気がする。以前はふとした言葉や出来事で、心が熱くなったり切なくなったり苦しかったり迷ったりしていたのに、今は

ふんふん、なるほどねー

あー、あるあるそんなこと

なんて俯瞰してしまう。

怖い夢を見ても、やーめた、と途中で目を覚ます技まで身につけてしまった。

 

若い時ほど感情を揺らすと疲れちゃうけど、なんだか情緒が無い。硬くなった自分の心の中に柔らかいものがどれだけ残っているのだろう。

見えないもの、聞こえない音、触れられない温度…。生きるために役に立たないそんな感覚が、本当は自分を守ってくれてきたはず。 

 

「誰が何と言っても、自分にはかけがえのないものなのだからそれでいい。自分だけにしかわからない特別なことを、ひとつひとつ味わってゆけば、それで充分なのだと…」

 

著者は少し先輩だけど同世代。今もご自身の感性を大切に生きていらっしゃる。

私ももう一度、自分の心の中を覗いてみようかしら。

 

 

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guitar

二歳の男子と二人で昼を過ごす。

アンパンマンのギターを持って、私に歌を歌えとせがむので『TSUNAMI』を歌ったら、首を横に振り続ける。


仕方ないので『真夏の果実』を歌ってみると、諦めたような顔をしてギターの弦をポロポロと指で弾く。


おまえはバンドするの?
と聞いたら、ウンウンと首を縦にふる。
そっか、ギターかっこよく弾いたらモテるかもよと頭を撫でたら、早く歌えと地団駄を踏んだ。


それじゃあとっておきだよ。
ソファにもたれて『わすれじのレイドバック』を歌っていたら、隣でギターを抱いたまま寝てしまった。
こんな良い曲の途中で眠ってどうする。

 


いい男になるんだよ。
懐の大きい、あったかい人にね。

 

 

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これがあたたかい食べものになりますよう

13年前の3.11、私はたまたま婦人科の待合室にいた。前の日、お風呂の中で乳房に塊を見つけて驚いた。スーッと血の気が引くような気持ち。

当時はまだ認知症の父が実家に一人で暮らしていて、身の回りのことは私が通いながら世話していた。だから余計に、自分が入院などになったらどうするか、頭の中を整理しながら婦人科に車を走らせた。

待合室の壁にかけられた大きなテレビに、煙を上げる街と大きな波が映っている。ニュースのアナウンサーの叫び声。一瞬、映画かなと思って、それが現実に今起きていることだと認識するまで何分もかかった。

 

診察室から名前を呼ばれる。

エコー検査を受けながら、命って重くて儚いなと天井を見ていた。

 

今年の元旦は、自分の家も揺れた。

ユラユラユラユラ、一戸建てから集合住宅に引越したため、以前とは揺れ方が違う。

テレビテレビと娘があわててスイッチを入れると、非常事態になっている。

 

自分の暮らす地域ではないところで、誰かが瓦礫の下で耐えている。誰かが飲み水を待っている。誰かが寒さに凍えている。誰かが眠らず働いて誰かが…。

そんなことを思っていたら、自分の精神が疲弊する。共感疲労と言うらしい。

 

こんなことを書くと怒られるかもしれないが、災害じゃなくても、本当は毎日誰かがそんな思いをしている。病気と闘ったり、苦しみや不安に苛まれたり、明日の命を占ったり。生きるって嬉しいけど苦しいよね。

 

だから、遠く離れている私に出来ることは、信頼できる人に少しでも早く、形になる気持ちを届けること。お金が手っ取り早いならそれが良い。

ただ、それがすべて困っている人に届くような機関を選びたい。昨日、そんな振込先を見つけたので、さっそく銀行へ行ってきた。

 

疲労するのはやめよう。

いつも通り暮らそう。

身近にも遠くにも、自分が無理をせず、出来ることをしよう。

 

 

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わたしの献立日記(沢村貞子)

散歩の途中に買った本をテーブルに置く。

「いいなあ、毎日楽しいでしょ」

娘に訊かれると、仕事してない自分が何だか後ろめたくて

「いや、そうでもないよ」

なんて応えてしまう。

 

楽しいかどうかはわからないけど、確かに気楽になった。時計ばかり見なくなった。お天気と洗濯物の相性を気にしたり、日々の献立をあれこれ思い浮かべたり。

そんなわけで、読む本も「食」に関わるものが増えた。沢村貞子向田邦子高山なおみ、本田明子、栗原はるみ…。

 

沢村貞子の『わたしの献立日記』は、著者が昭和41年から26年間、大学ノート36冊に記した献立と、日々の随筆。

ある日の献立は、鯛のあら煮、なすのはさみ揚げ、貝柱、きゅうりのごま酢、豆腐の味噌汁。

品数も多いし、どのメニューにも一工夫がある。天ぷら、五目ずし、柳川鍋、鶏雑炊、シチュー、すき焼き、五色なます、さやのおひたし、ひらめのバタ焼き…

 

女優業をしながら毎日これだけの料理を作るのは並大抵ではない。彼女の愛情深さと健気さ、知恵と工夫、慎ましさと一本気。随筆の一つひとつの言葉にも味わいがあり、気立ての良さが伺われる。変わらず続けられたのは、きっと、好きな人に食べてもらえる喜びが源にあるからだろう。

毎日の献立を考えるのもたいへん。準備するのもたいへん。料理もたいへん。そんなことばかり考えてる自分が恥ずかしくなる。

 

「すぐ否定しなくて良いのよ。私はお母さんが楽しいと言うのが嬉しいんだから」

娘に笑われる。

 

そろそろ何か始めてみようか。

沢村貞子さんみたいに献立日記をつけてみようかな。ノートを探して、今日の夕飯を書いてみる。大したメニューじゃないのに、文字にするとなかなか美味しそう。

いつまで続くかわからないけど、ちょっとだけ楽しくなってきた。

 

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なぎさホテル(伊集院静)

人生には、回り道や寄り道が必要だ。

そんな言葉をよく耳にするけれど、私は過去のことをあまり憶えてないので、どれが回り道でどれが寄り道だったのか。それでも記憶を辿っていたら、ああ、もしかすると、今がそれかもしれないと気づいた。

 

『なぎさホテル』は、伊集院静さんが作家になるまでの過程で七年間暮らしていたホテルが舞台。

やっぱりお金持ちはやることが違うなあと感心して読み始めたら、まったくの思い違いだった。

 

「いいんですよ。部屋代なんていつだって、ある時に支払ってくれれば。」

当時の著者はお金を持っていなかった。家族と離別して、一人故郷に帰る前に立ち寄った逗子の海岸でI支配人と出会ったのだ。

 

「昼間のビールは格別でしょう」

その一言から始まった七年間の暮らし。

宿代が無くても定職が無くても、ホテルはいつも彼にあたたかい。

 

「あせって仕事なんかしちゃいけません。正直言わして貰うと、仕事だって、そんなに必要ないのかもしれませんよ。」

なんておおらかな支配人だろう。

 

そう言えば、私が子どもの頃、母が経営する小料理屋に数人の大学生が出入りしていた。皆んなお金が無いので、店の片付けや掃除、私の家庭教師などをして夕飯を食べて帰っていた。

「お金なんていいのよ。」

気風のいい母も、誰にでもそんなことを言ってたわけじゃない。

 

I支配人が、著者をホテルに受け入れたのも、きっと彼の人柄や才能を見抜いていたからだろう。

そして、この無駄だと思える七年間は、著者が「伊集院静」になる礎になった。

 

人生の回り道は、何も実らない日々。何も生まれない空虚な時間。でも、人がもう一度歩き始めるための大切な準備期間。長く生きれば誰だって、体や心のバッテリーが空っぽになる時がある。

そんな日々の中で、誰かに信頼され誰かに見ていてもらえたら、また何とか立ち上がれる。

回り道が逗子の海となぎさホテルだなんて、やっぱり伊集院静はカッコいい。

 

 

2023年11月、突然の訃報。

なんとも残念で寂しい。

心からご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

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