not too late

音楽と本と映画と日々⑅︎◡̈︎*

この世で一番キレイなもの(早川義夫)

いつの時代から「正直」だけで生きていけなくなったのだろう。

利便性のある嘘は、暗黙の了解で世の中にたくさんある。

建前の決め事は、守られるために作られていない。

見えないフリ。聞こえないフリ。

強いものには巻かれるか吠え返すか。

弱いものには関わらないのか関われないのか。

正直者は馬鹿を見るけれど、馬鹿正直に突き進むのも人を困らせたりする。

とかくに人の世は住みにくいなぁと、何かにぶつかったとき感じる。

 

たまに、とても優しい人がいる。

優しい言葉を当たり前のように人にかけられる。

望んでないことを突然されても、あら良かったねぇとか、わぁ素敵ねぇと言える。

私は素直じゃないので、そんなことが言えなくて自分がめんどくさくなる。

 

そんなとき、この曲を思い出してみる。

綺麗事を言っているのでなく、説教じみてなく、ただあるがままを書いている。

早川義夫は、先に本を読んで、それから音楽を聴いた。

アマタがこんがらがったとき、そのモヤモヤがすーっと消える。

 

いい人はいいね 素直でいいね

キレイと思う心がキレイなのさ…

 

だからって、いい人にはなれないんだけどね。

 

 

m.youtube.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一切なりゆき (樹木希林)

本屋の中を歩いていると、樹木希林さんの言葉を集めたものが出ていた。

先日お亡くなりになったのに、早いなぁと思う。

いろんなメディアが彼女の言葉を取り上げ、それは様々な人たちの胸を打ち夫々の人生を顧みるきっかけとなった。

私は意地悪なのだろう。亡くなった後で出版される本というのは、あまりしっくりこない。それでも、

「これは、買っちゃうでしょう」

即、手に取ってしまった。

 

統計なんていうのは、わたしは全然信じてないの。人気投票とかああいうのに時どき出たりするんですけど、噴いちゃうんですよ。ああ、もう個としての魅力がだめになったなあと思って。

 

私がこういう取材を受けるメリットはどこにあるの?あなた方のメリットはわかるの。えっ、私の話で救われる人がいるって?それは依存症というものよ、あなた。自分で考えてよ。

 

誰でも、だんだんと生きる時間が短くなる。

できるだけ、柔らかな時間を持ちたくなる。

それでも、自分の意思を通しておきたくなる。

 

立春も過ぎて、花の気配を探し始める頃、雪が降る。

それは例年のことなのに、毎年忘れてしまって、目覚めの雪景色に見惚れる。

こうやって日々は重なっていくのだろう。

そうして同じようにプチンと無くなる。

 

物はいらないから、自己満足のカッコ良さで歩けると嬉しい。

そしてそれを黙って出来るのが、いちばんカッコいいね。

 

 

f:id:marico1209:20190211132810j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キオミ (内田春菊)

山田詠美の話をしたら、その人が、内田春菊の『キオミ』をおしえてくれた。

早速、買って読んでみた。

なんだろう。そこに書かれている頃の感覚を覚えているようないないような。

読み終えて、おしえてくれた人とまた話したら、彼はこの本を二十年以上前に読んだらしい。

その時、男性作家が書くセックスとは描写が違うと感じたそうだ。

 

たしかに、男性作家と女性作家のその描写は違うように思う。

私個人の好みでは、女性作家の書き方の方がしっくりくる。

中でも、山田詠美向田邦子が好き。

 

音楽を作る人が書いたブログに

「いかに品をもって毒を吐けるか」

という話があった。

それにはユーモアが必要で、そして洒落てなければいけないと、ある。

 

セックス描写も、

「いかに品をもっていやらしく書くか」

のような気がする。

その点では、『キオミ』は私には少しつらい。それがリアルであり、それが人間であり、それが本質であるのはよくわかるけれど。

 

見えないほどいやらしいものはない。と、私は思っている。

見えないほど相手がよく見える。

音とか、匂いとか、息とか温度、声や感覚。

そんなもので書かれた作品が、案外、品のある猛毒だったりする。

 

 

f:id:marico1209:20190202115908j:plain

 

 

 

 

 

 

 

使い分け

いつも読ませていただいているブログに、SNSやブログの使い分けの話があった。

その方によれば、ブログはライブラリー、Facebookは社交場、Twitterは刹那。

だそうだ。

「そうした使い分けが、僕の書きたいことのバランスを取ってくれる。」

 

書くことが仕事ではない人も書きたいことを書いて、それを知らない誰かが読める世の中になっている。

自分が書いたものを、誰かが読んでくれるのは嬉しい。

読んでもらいたくないなら、自分の部屋で日記帳やノートに綴れば良いこと。

もちろん、書くことが好きじゃない人もいて当然だし、読むことに興味が湧かない人がいても普通なこと。

 

私の場合、頭に浮かんだことを書くのが好きだからブログを書いている。

Instagramは付かず離れずの優しさが心地良く有り難くて続いている。

Twitterは、皆んなある意味ホンネを書くので、読むのがツライときがある。私は人の言葉や文章から色んなモノを受けやすい。

ツライなら止めれば良いことなんだけど、止めない理由は二つ。

一つは、そこに好ましい人がいるから。

もう一つは、一人でも私のtweetを好きだと言ってくれるから。

 

私は、ネットでの表現やお付き合いを現実生活から離れてやりたいので、Facebookはやらない。

友人の中には、Facebookがとても楽しいという人もいる。

 

それぞれの使い分け。

ただ、書くことや読むことが好きなのは同じなのかも。

 

 

f:id:marico1209:20190127095621j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

120%COOOL (山田詠美)

休日の朝、一人で山田詠美の『120%COOOL』を読む。

止まず湧き出てくる美しい言葉にため息が漏れる。

 

お昼は友人に誘われてランチ。

経済や歴史を好きな彼女が、最近読んだ本の話を聞かせてくれる。

「貴女は最近何を読んでるの」

と訊かれて、120%COOOLと答えたら、私も読んでみようと言っていた。

 

実際に彼女がこれを読んだらどんな感想を持つだろう。

よく分からなかったとか、貴女らしいと笑うかもしれない。

もし、彼女が目を輝かせて

「素敵だった」

と言ったら、私は今以上に彼女と近づける気がする。

 

思いが交錯し、重なり合うひと時が、いったい誰に証明出来るだろう。それらはすべて甘い錯覚ではないのか、と私は思うのだ。二人の違う肉体を持った者同士が、ひとつになれるわけなどないように思える。

共有出来るものがあるとしたなら、二人で過ごす時間。それのみにつきるだろう。

 

今、在ること。

今、有るもの。

今、居る場所。

 

ストーリーを読むのではなく、ベッドの上を読む。

欲情も劣情も書きながら、決して下卑ず浮つかず、人生の機微まで教えてくれる。

この短編集自体が、120%COOOL。

 

 

f:id:marico1209:20190126145654j:plain

 

 

 

 

 

ひとり紅白歌合戦2013 (桑田佳祐)

サザンオールスターズのライブチケットをエントリーして、結果待ちの日々。

車の中で『第二回ひとり紅白歌合戦』のDVDを観ている。

ひとり紅白歌合戦は、桑田佳祐がAAAのため開催しているライブで、昨年第三回で最後となった。昭和歌謡を中心に最近の曲までを55曲すべて一人で歌っている。

 

これを聴くと、ほとんどの曲が歌えてしまう。

そして車から降りても、その日の夜まで翌日の朝まで懐かしい曲が頭の中を流れる。

昨日は中村晃子の『虹色の湖』を口遊み、一昨日は由紀さおりの『手紙』、オックスの『スワンの涙』、風の『22才の別れ』、坂本九沢田研二中島みゆき槇原敬之aiko

 

助手席に乗った同い年の友人が、あー桑田佳祐だ、今また昭和歌謡がブームらしいねと話したけれどあまり興味は無さそう。

私みたいに一緒に歌ったりしない。

 

そう言えば、原坊(原由子)が子どもの頃、実家の天ぷら屋さんの二階で一人、ずっと歌謡曲を歌っていたと聞いたことがある。

私も子どもの頃、母の小料理屋の二階で一人、ずっと歌謡曲を歌っていた。ときにはいしだあゆみになり、時には奥村チヨになりきり。

そんな子供時代も影響されているのかもしれない。

 

今朝も桑田さんの昭和なダンスを真似ながら、

しーんでもあなたと暮らしていたいと…

なんて口遊んでいる。

 

昔が良かったなんて言わない。

美しい思い出ばかりじゃあない。

でも、良い曲はたくさんあったよね。

 

 

f:id:marico1209:20190118082804j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でーれーガールズ (原田マハ)

年末年始は、皆の笑い声やお喋りをBGMに、ただただ動いてやるべきことをする。

私も皆とのんびり遊んでいたいけど、なかなかそうはいかない。

今年はいつになく、不穏な出来事もあり、気持ちに少し傷が出来た。

そんなお正月三が日が終わり、ようやく一人になった日、好きなカフェと本屋をハシゴ。

やっぱり、ひとりで好きな空間にいるのが幸せ。

 

本屋で古書を見ていたら、原田マハの『でーれーガールズ』があった。

ずいぶん前から気になっていたのにまだ読んでいなかったので、すぐ手に取った。

 

家に帰って、一人ソファに座って読む。

あーなつかしい高校時代。

空を見上げて、風が吹いて、いろんなことに憧れて、ワルいこともやってみて、悩んで、ふざけて、笑っていた頃。

あの橋の上で、あのスクールバスの中で、あの喫茶店で、あの人のバイクで。

 

今思えば、"恋ごっこ"や"夢ごっこ"をしていたんだなぁと思う。

付き合った人もいたけど、付き合ってみたかっただけ。

小学生の時からデザイナーになりたくて、高校三年には美大受験のデッサンや色彩構成を習いに塾へも通ったけれど、デザイナーにはなっていない。

 

すべて夢の中だったような気がする。

 

『でーれーガールズ』とは高校は違えど、よく似た女子校環境。

大人になって思い出すあの刹那いかおりは、皆んな同じなのかもと感じた。

そして、あまり好きではなかった方言が、かわいくて愛おしくなった。

自分の故郷も悪くはないと、何処ともない空を見上げてみる。

 

 

 

f:id:marico1209:20190110092512j:plain